埼玉県庁に日本電力株式会社の蓋 | 東京蓋散歩 ~マンホール巡り~

東京蓋散歩 ~マンホール巡り~

マンホールや消火栓などの蓋、特に地味蓋を中心に観察しながら歩きまわります。タイトルとは裏腹に都外出没頻度も高いです。

埼玉県庁の敷地内に旧日本電力株式会社(平成になって設立された同名会社とは別)のものと思われるマンホール蓋が残っていました。

コールタールでも塗られているのか黒々としたタコ足地紋の蓋。関東でこの地紋の蓋は初めて見たような気がしたのと紋章も見慣れないので不思議だったのですが、先輩探蓋師によって「マンホールのふた<日本篇>」でも紹介されている日本電力の蓋であろうと同定されました。


紋章部分のアップ。


実はこの蓋がある場所には今年の1月に訪問しています。↓の写真にあるオールドプレートの送水口に出会って喜んだ場所なのです。その時の記事(埼玉県庁の送水口達)にもこの蓋の一部が写っているのだが全然気づいていませんでした。


この送水口が付いている現在の県庁舎は昭和30年に竣工しており、日本電力が存在していた時期(戦後すぐに解散)とは異なっています。日本電力は大阪の会社で昭和初期に関東にも進出してきたらしく、この蓋と同様の蓋を東京電力が所有しているそうです。(駅からマンホール 日電~日本電力株式會社)ただ、埼玉というか浦和の埼玉県庁に実際に電力を供給していたのか、蓋だけ流用したのかがよく分かりません。
埼玉県立文書管に保管されていた埼玉県の昭和4年2月5日付公告によれば日本電力が事業準備のため入間郡、北足立郡の各地で立入測量を行うことについて県知事が許可したことになっており、埼玉県への進出をうかがっていたことは間違いない様です。埼玉県史には戦前の県内における電力会社の統合についての記述もあるのですが大正期~昭和4年の民間企業の乱立と県営電気事業計画(実現せず)、東京電燈への吸収と県内事業者中心の記述で関西から来た日本電力については何も記載がありませんでした。
少なくとも現在の庁舎が出来た昭和30年以前にもこの地に県庁はあった事は間違いないのですが、県庁が日本電力から電気を購入していたかどうかは調べ切れませんでした。

また、日本電力株式会社10年史という社史があるのですが刊行が1933年でネットで見られる同書の年表によれば昭和初期に東京横浜へ進出していたことは分かりますが埼玉についての記述が本文にあるかどうか微妙です。

というわけで、この蓋が県庁の敷地にあった理由は今のところ謎です。


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