広島市比治山付近の古蓋 その2 下水道100歳?蓋 | 東京蓋散歩 ~マンホール巡り~

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マンホールや消火栓などの蓋、特に地味蓋を中心に観察しながら歩きまわります。タイトルとは裏腹に都外出没頻度も高いです。

ということで、前の記事(広島市比治山付近の古蓋 その1 ABCC)の続きです。
墓地を降りて行ったら山の西側に下りてしまったのでトンネルをくぐって東側に向かおうとしました。トンネルに続く道のわきに細い路地があったのでいつものように吸い込まれていった先にいい蓋がありました。

今回出会えた蓋はこれ。


過去記事 広島の下水道古蓋 に載せた↓↓の蓋の中身は下水道台帳によれば明治43年設置のマンホール。今回の蓋と比べると中央の穴の感じは同じですが鍵穴の数や蝶番の有無が違います。


過去記事 広島市の大正3年布設マンホールの蓋~燈孔等 に載せた↓↓蓋の方が全体的に似ています。中央の穴の形状が違いますがすり減ってしまった結果かもしれません。大正3年設置のマンホールの蓋です。今回の蓋も大正初期の蓋と考えてよいのではないかと推測します。ほぼ100年前の蓋です。

明石にも同様の蓋(↓↓)がありました。明石の下水道も大正元年着工と長い歴史があります。林丈二氏の著書「マンホールのふた」でも明石と広島の蓋の共通点に関する記述がありました。仕様書の流用など。
明石

なお、今回の蓋のあった場所を下水道台帳を調べたところ、この蓋は、載っていませんでした。このあたりの下水管やマンホールは昭和55年以降に設置されたことになっています。



下の写真の赤い矢印の先の蓋が上の図の矢印の先のマンホールに該当すると思うのですが、それ以外の黄色の矢印の先の蓋は上の図には描かれておらず、ちょっと謎です。あくまでも推測ですが、この地域も明治末期から大正初期に下水道が引かれたものの原爆等の影響で全体的には使用できなくなり、昭和55年に再建、この角蓋の設置された頃の管渠が非公式な雨水管として昭和の管渠につながっているのかもしれません。



広島市の下水道台帳はここでpdfで提供されており使いやすいです。ただ、今回のように下水管の設置年が最近とされているところでも実際には戦前にも設置されていた可能性があり、台帳に載っていない古い人孔蓋がまだあるかもしれません。


広島の古蓋の過去記事:

 広島の下水道古蓋
 広島市の大正3年布設マンホールの蓋~燈孔等