前回の記事の最後に載せた地図の丸印の中の路地へ。
いい感じです。
妙な蓋を発見。大きな穴が並んでいる様子から以前、京都で出会った大正時代のものと思われる蓋を思い浮かべました。
その妙な蓋と京都の古そうな蓋。比べたら全然違いました。穴の数的にも今回の蓋は名古屋市型蓋の全穴貫通型と考えたほうがよさそうです。
そして今度はこんな蓋。サイズは約26.5㎝。市内で見てきた汚水桝の35cmより小ぶりの蓋です。う~ん気になる。
さらに路地を進むと、なんとバキュームカー。20数年ぶりに見たような気がします。
今探しているのは、大正から昭和にかけて整備された下水道の蓋。なのに平成の今でも整備されていないところを歩いて意味があるのか...
立ち尽くしたところで左への分かれ道の先をふと見ると縁石付の蓋が行き止まりに。
なんとも立派なたたずまい。名古屋市型の古蓋共通ともいえる大きな穴が20個全部開いています。
中央の紋章は市章ではなく「津」という文字になっています。津市の市章の制定は明治時代の事なのでこの蓋の設置時点では市章があったはずなのですが、どういうわけなのでしょうね。
気を取り直してバキュームカーの横をすり抜けさらに路地散歩。。。
おっ、また縁石付の「津」蓋。写真では分かりにくいのですが、矢印の先の白い影も縁石のようです。
上の写真の矢印の先の蓋。実にすばらしい蓋なのですが、そのさらに先の影も気になります。
拡大するとほら。屈曲部になにかあります。
駆け出したい気持ちを抑えて、このマンホール蓋の方をまずは撮影。そして深呼吸。
で、さっきの屈曲部は、こちら。燈孔蓋でしょう。これは。
地紋的には名古屋市型と思ったら8分割でなく6分割ですね。サイズは約27㎝で岡崎の蓋と同じ。ただし中央に鍵穴もしくは取っ手の跡があって他の穴は貫通していないし外蝶番もないという独特の風貌です。結局、前回の記事に載せた怪しげな小蓋も燈孔蓋だったようです。
ちょっとがたついていたので開けてみようと思いましたが蓋は持ち上がりませんでした。
天童市で数枚見かけた名古屋市型風6分割マンホール蓋。あまり似てないですね。
つづく
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