この表には全国各地の都市に昭和45年以前にどれくらいの燈孔があったかということが年ごとの推移を含めまとめられています。
今回の注目は、三重県の県庁所在地、津市。昭和45年時点で104個もあったことになっている。
一方、本ブログに度々登場する「日本水道史」(中島工学博士記念事業会 昭和2年発行)によれば、大正10年に下水道工事に着工、当初の燈孔設置数は106個とのこと。その後の増減は多少あったとしてもほとんど当時のまま残っていたと推測できます。設置場所については、橋北、橋内、橋南という地区らしい。そのような地区名がうまく見つけられなかったけれど、地図をよく見ると津駅の東あたりから南に向かって、橋北、東橋内、橋南という中学校があるのでこの区域が探索対象としました。構造は名古屋市に準拠ということなので燈孔蓋も名古屋市型かも?
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とりあえず、橋北区域の旧伊勢街道付近ややや細そうな道などをうろうろすることに。
名古屋市型の蓋が出迎えてくれます。中央は旧市章。
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安濃川を渡って橋内地区へ。
汚水桝と思われる蓋も名古屋市型でしたが、名古屋市にあるものとは違って外蝶番はついていません。
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こちらが名古屋の汚水桝。
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この地区には細くてくねくねした路地の集中する地域があります。下の地図の赤丸区域。
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その路地へ。いい雰囲気です。
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後日、まとめる予定ですが右書きの消火栓などがちらほら。ただ、どうも古そうな下水蓋が見当たりません。城跡付近も歩きましたがどうもダメです。これは、スカかなぁと嫌な予感。
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ちょっと変な真ん中がすっぽりと抜けた蓋。ちょっと危険じゃないか?
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そして、岩田川を渡り橋南地区へ。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20120906/22/tokyo-manhowalk/c0/00/j/o0480035812175283814.jpg?caw=800)
細くうねった路地の集中する地域へ。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20120906/22/tokyo-manhowalk/f5/40/j/o0480029112175309088.jpg?caw=800)
続く