前回の更新から2週間...
予想通り仕事漬けな日々でした(忙しすぎてここ数週間の記憶が朦朧としていますw


1日の7割方、PCと向かい合っていたので
視力・体力がかなり落ちました(夢の中でもPCいじってましたw


ほんの1ヶ月前までのあの放浪生活が日々は・・・・

もはや“SFの世界”です(w


そして

どうでも良い話ですが・・・

先日、携帯がぶっ壊れました(涙

どうやら
長旅の疲労が今になってあらわれたようです
(本体内部への浸水が原因らいしです・・・恐らく日本海で吹雪かれた時w)



話しは変わりますが(眠くなってきたので

桜。 良いです!






もう少しゆっくりじっくり撮りたかったんですが・・・・

仕事先に軟禁されていたら
・・・・いつの間にやら葉桜に(涙


世知辛い世の中です(w







↑写真は


鹿児島の実家で栽培した大根を干しているところ


1週間ほど干し続けると・・・・

↓こんなに小さくなります



コレを漬けると美味しい大根の漬物になります(ご飯と良く合います)



さらに離れの納屋には・・・・


何十羽ものニワトリが





毎日たくさんの卵を産むんだとか(余ったものはご近所さんにあげるそうです


観賞用のニワトリ



剥製にする予定だったそうですが・・・・

値段が高かったため執行猶予中の身です(w


祖父がウサギ狩りをする時のパートナー(ヤマという名前です)



薩摩ビーグルという種類だそうです(今は引退して日向ぼっこばっかりしています



家庭菜園も充実


花キャベツ





花桜




特に毎年11月に行われるコンテンストに出すという

菊の華の栽培には手間暇掛けているそうです。



画像の下へ長く伸びているのは菊の根


後ろに写っている人形(像!?)は




祖父の手作り(コンクリート製)



何でも庭に飾る置物を買おうとしたところ
値段が高かったので自作したのこと(制作期間は1体につき約1週間)


近所の山で拾ってきた落ち葉を発酵させ

菊作り用の肥料を作っている祖父








祖父は、戦時中には陸軍の航空隊に所属しグライダーを操縦。

戦後はさまざまな乗り物の免許を取得(自動車、大型特殊、大型自動二輪、大型自動車etc)


その他にも・・・・


大阪万博のための資材を運んだり


赤道を越えた場所にあるマウイ島の道を作ったり


農家をやったり狩りをして


家を支えてきた人なのです(本当に家の一部分も作ったそうです



親戚のおじさん曰く


“今で言う暴走族の走りみたいな人”


と言われるほど型破りな人だったようです(w


そんな祖父の昔話を聞いたり実際に祖父と話しをしてみて

本当の意味での男というものをこの数日間で感じることが出来ました(自分も頑張らなければあせる


この他にも親戚のおじさんが獲ってきた鹿の解体(ちょっと刺激が強いので写真は自粛w)や

飼っている(!?)イノシシを見せてもらったりと・・・・


これまでの日本各地で体験してきたことことのなかでも

かなり濃い体験が出来た数日間でした。(灯台下暗し




祖父母や親戚のおじさん、おばさん、

そして自転車の修理をしてもらった自動車工場やラジエーター工場のみなさん

色々とありがとうございました。

この場をかりてですが、お礼を申し上げたいと思いますm(- -)m

突然ですが問題です!

↓画像の鍋には何の肉が入っているでしょうか?



少々アップ



右下に写っている黒い物体です・・・・





正解はイノシシの肉


他にもニワトリの肉などが入っています(w


しかも、このイノシシは親戚のおじさんが狩で獲ってきたものなんです(逞しい!


自分が東京から自転車ではるばるやって来たということで

シシ鍋でお祝いしてくれました(とても精力がつきそうですw


その他にもニワトリの刺身や鹿刺、鹿の肝臓(生!)

そして、薩摩焼酎(?)をご馳走になりました。


実はこの鹿児島の実家には高校3年の時に帰ったきり約5年ぶりの帰省だったのですが。

5年前と変わらず、まず一番に思ったこと(衝撃的だったの)は・・・・



言葉がわからない(w



祖父や親戚のおじさんたちが話す“生粋の薩摩弁”は
標準語に翻訳してもらわないと半分も理解出来ませんでした(汗


さらに焼酎が入ってヒートアップすると

もう全くお手上げ状態・・・・

何年か前にイギリスへホームステイした日々のことを思い出しました(w


それなので、黙々と美味しい料理と焼酎を飲み食いし続けました(翌日は当然のごとく胃もたれと二日酔いです



この日は島原半島を南下(↑画像は夕日ではなく朝日です晴れ




口之津からフェリーに乗って天草へと渡る船



さらに、天草の南国チックな海岸線を走り続け





合津港に到着。


再びフィリーに乗り今度は八代へワープ。


そこから3号線を水俣方面へ30分ほど進んだところで

鹿児島の祖父が運転する軽トラに拾われました(呆気ない旅の終焉ですw)


ただ


外タイヤの穴あき



リムの破裂(!?)



などなど

かなり自転車が疲労していたので汗

ちょうど良いタイミングだった思います。


かなり時間差になってしまいましたが(4,5日程)
雲仙を周ったときの記事をアップします。


ちなみに今は、今回の旅の終着地である
鹿児島(父親の実家)でゆっくりしておりますm(- -)m



↓写真は島原城




これまでいくつかのお城を見てきましたが、かなり立派な作りのお城でした。


島原市内を抜けて

しばらく国道沿いに南下すると↓のような標識が・・・・



ここはあの雲仙普賢岳噴火の被害を受けた地域



↑噴火によって出来た平成新山(日本で一番新しい山)
山肌には火砕流の爪痕を見ることが出来る。




↑雲仙岳災害記念館
この記念館内には火山の仕組みや火砕流の疑似体験施設(?)など
普賢岳噴火に関するさまざまな展示物がある。

ただ、この記念館の入場料は・・・・驚きの¥1000円(旭山動物園より高いあせる

券売機に表示されたその値段を見た瞬間

入るかどうかかなり戸惑ったが・・・・入った手前あとには戻れなかったのと

普賢岳噴火について少しでも知りたかった勢いで購入する。


入館してすぐに1000円という遊園地並み入場料の正体を発見する。


それは

普賢岳噴火のようすを体感出来る平成大噴火シアターという代物。

このシアター、当時の様子を再現したCG映像に連動して床が動き

さらには温風が顔に吹き付けるという“某ネズミーランドー”ばりのエンターテインメント施設なのだ・・・・


噴火の恐ろしさを伝えたいのはわかるけど・・・これではパロディーに近い

これだったら、同じ館内にひっそりと展示・上映されている

陸上自衛隊員が撮った雲仙岳のレポートや

火砕流に呑み込まれて亡くなられたカメラマンが撮った最後の映像の方が何十倍も価値があると思う。



何ともすっきりしない思いで記念館を後にし、旧大野木馬小学校へと向かう



ここは火砕流で受け廃墟となった小学校を、当時の姿のままに残し公開している。









火砕流の熱(約800度)で変形した鉄棒

“百聞は一見にしかず ”

とはまさにこのことで噴火の恐ろしさを肌で感じることが出来た。


ただ、旧大野小学校に行くには
約3キロの坂道を登らねばならず・・・自転車だとかなり大変です。(自転車で行く人はそう多くないと思いますが


その後、雲仙岳災害記念館の近くにある道の駅“みずなし本陣ふかえ”へ向かう。(この日の寝床)

実は、この道の駅にも普賢岳噴火の脅威をまざまざと感じることが出来るものが展示されている↓



それは土石流の被害によって埋もれてしまった住宅




当時のようすが、ほぼそのままに保存・展示されている。

自然を前にして人間がいかに小さな存在かということを痛感した1日でした。