ここ数日、寒さが厳しくなり。
野外でPCを出すのが億劫になっていので、しばしブログを更新していませんでした。(要するに怠慢ですw)
今現在は島原市を超えて
雲仙普賢岳が真正面に見える道の駅にいます。(ここも寒いです。。。)
今日は一昨日、長崎に居た時のことを書いていきます。
あの日はまず最初に、
歴史の教科書でお馴染みのモニュメントがある平和公園へ。
平日でしたが予想以上に観光客が多かった(若い人が多いのにも驚く)
モニュメント脇に設置された解説板によると
天に向かけてさしている指は原爆を
水平にのばした腕は平和を意味するそうです。
何枚か写真を撮った後、すぐそばにある原爆投下地点へと足を運ぶ。
原爆投下地点に直立する黒い石柱。
その後、長崎原爆資料館に入る(入場料¥200円)
館内には原爆投下直後の長崎市内を写した写真や映像。
原爆の強力な爆風によって異様な形と化した鉄骨や建築物の一部やさまざまな生活用品など
原爆の想像を絶する威力を生々しく伝えるものが多数展示されている。
さらに、原爆がどのようなメカニズムで作られ、どのような被害をもたらすのかと言った事柄が
映像や模型を使ってわかり易く説明されているので勉強になった。
それにしても、当時の事物やそれらを撮らえた写真・映像が持つリアリティが、
半世紀以上経っても全く色あせないものなのだと思い知らされる。(当然といえば当然かもしれないが)
それら“時代の証人”たちは、原爆投下という人類の歴史上初めての惨禍を、
後世にどうように伝え教訓にしていくのかという問いかけをするのに十二分な役割を果たしていた。
このことは原爆に限らずありとあらゆる時代背景や事柄などを、
将来へ残していくための1つの有効な手段なのだと再認識させられた。
ただ、このような体験型の施設は影響力や訴求力が強く。
感情的になりやすいためある一定の思考へ陥りやすいというデメリット(?)もあるのかな・・・・
などと思ってしまったり。
やっぱり歴史の伝承というのは難しい問題たなぁと思うのでした(汗
まだまだ先になりますが広島にある原爆記念館にも行き、
この長崎の記念館と展示の仕方について比較してみるつもりです。
この日の最後は“長崎ランタンフェスティバル”へと向かう。
ランタンフェスとは中華街の中国人たちが旧正月に祝っていたもので
会場となっている中華街周辺には
何千何万という数の提灯が色鮮やかに長崎の夜を飾っていた。
ランタンフェスは2週間近く続くそうだ(もう少し長崎に滞在したかった・・・・残念)
後、今日は雲仙普賢岳の復興記念館に行ったのですが・・・・
色々と書きたいことが山ほどあるのですが(大半は愚痴!?)
寒さで指が動かなくなってきたので(w
明日ゆっくりと書くことにします。