こんばんは
徳王です
飛鳥時代続きです
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改新後の政治の展開
①斉明天皇時代=飛鳥板蓋宮・飛鳥川原宮・飛鳥後岡本宮
(i)斉明天皇=重祚(皇極天皇が退位して再び皇位についた)
※有間皇子の変(658):蘇我赤兄の画策
(ii)東北経営
・粛慎制圧:阿倍比羅夫(東漢氏)が東北日本海側を支配下に置く
(iii)朝鮮半島とのかかわり
660 新羅・唐(高宗)の連合軍によって百済が滅亡
⇒百済遺臣の鬼室福信が豊璋の送還を要求。日本、救援軍派遣を決定
661 朝倉宮在所。死去→中大兄皇子が称制(即位式をあげずに政治をとる)
663 白村江の戦い
背景:百済再建のため、日本が軍事行動を決定した
内容:日本・百済連合軍vs唐・新羅連合軍
結果
(1)唐・新羅連合軍敗北・国内国防強化(中央集権化政策)
例.防人・烽:筑紫、対馬、壹岐
水城:筑紫
朝鮮式山城:大野城、基い城(筑紫)・高安城(大和)・屋島城(讃岐)
金田城(対馬)
(2)高句麗滅亡(668):新羅朝鮮半島統一(676)・内政充実へ
Q日本が百済移民を利用した背景を書きなさい
A日本は倭国の時代から朝鮮半島に対して華夷意識をもって上位の立場で接しようとしていたが、白村江の戦いでの敗北により蕃国として扱うことができる国を失った。中国から継受した律令は、異民族支配を前提とする帝国主義的な理念を内包しており、律令を導入して帝国としての体裁を整えるためには、蕃夷として扱うことができる存在が必要であったため、滅亡した百済や高句麗の王権を国内において疑似的に存続させ、奉仕させることで華夷意識を満たそうとした
②天智天皇時代(中大兄皇子) 大海人皇子:皇太子
近江大津宮遷都(667)
近江令の作成(668)
背景:天智天皇権力確立
制定:中臣鎌足
内容:現存せず
実施:不明
(史料)『類聚三代格』
「推古天皇十二年に□び、上宮太子新たに憲法十七条を作り、国家の制法、茲自り始まる。降りて天智天皇元年に至り、令廿二巻を制す。世人の所謂、近江朝廷の令なり。爰に文武天皇の大宝元年に逮び、贈太政大臣正一位藤原朝臣不比等、勅を奉りて律六巻、令十一巻を撰す」
甲子の宣
背景:豪族連合政権
内容:部曲復活
結果:豪族跋扈
⇔部曲廃止(天武天皇)
庚午年籍(670)
背景:人民一元的支配・中央集権体制確立
内容:全国的戸籍(永年保存)・根本台帳⇔戸籍:6年ごと30年保存
結果:徴兵・徴税基礎単位確立
(史料)『続日本紀』
「詔して日く、籍帳の設は、国家の大信なり。時を遂うて変更せば、詐偽必ず起らん。宜しく庚午の年の籍を以って定と為して、更に改易すること無かるべし」
③改新政治の展開
壬申の乱(672)
背景
(1)仲裁者の不在:中臣鎌足の死(大職冠・藤原姓)
(2)豪族の不満:天智天皇の専横・白村江の戦いへの負担増大
(3)皇位継承問題:大海人皇子(弟・天武天皇)vs大友皇子(子・弘文天皇=明治天皇)
内容
(1)大海人皇子(弟・天武天皇)vs大友皇子(子・弘文天皇=明治天皇)
(2)美濃(東国兵士・新興武士)vs近江朝廷(大和豪族・旧勢力)
※伊勢神宮:天照大神の加護・太陽神なので東から西に攻める)
結果
(1)天皇権威高揚・大豪族没落
(2)現人神:天皇の神格化)
(3)天皇・日本称号の使用(飛鳥池遺跡出土木簡)
例.大君は 神にし坐せば 天雲の 雷の上に いほりせるかも(柿本人麻呂)
(史料)『日本書紀』
「辛卯に天皇、紀臣阿閉麻呂(中略)を遣わして、数万の衆を率て、伊勢の大山より越えて倭に向わしむ。且村国連男依(中略)を遣わして、数万の衆を率て、不破より出でて、直に近江に入らしむ。其の衆の近江の師と別け難きことを恐れ、赤色を以って衣の上に着く。(中略)
天武天皇元年七月辛亥に、男依等瀬田に至る。時に大友皇子及び群臣等共に橋の西に営して、大に陣を成し、其の後見えず。旗幟野を蔽し、埃塵天に連なる。鉦皷の声、数十里に聞ゆ。列弩乱れ発ちて、矢の下ること雨の如し。(中略)衆悉く乱れて散走り、禁むべからず。時に将軍智尊刀を抜きて退く者を斬る。而も止むるこは能はず。因て以て智尊を橋の邊に斬る。 則ち大友皇子、左右大臣等、僅に身をもて免れて逃ぐ。(中略)壬子に、…是に於て、大友皇子、走げて入らむ所無し。乃ち還りて山前に隠れて、自ら縊れぬ。時に左右大臣及び群臣皆散り亡ぐ」
Q大化改新が行われるに至った国際的な背景を述べよ
A7世紀半ば頃、唐による高句麗征討が始まったことから、周辺諸国に有事の際にも即応が可能な中央集権的な国家作りを行う必要性が発生した
Q白村江の戦い以後に中大兄皇子が行った諸政策について述べよ
A九州北部へ防人、大宰府北西へ水城を設置するなど国防を強化した。そして近江大津宮に遷都して天智天皇として即位した後は、庚午年籍を作成するなど中央集権化を推進した
A唐が朝鮮半島へ侵攻し,新羅と結んで百済を滅ぼしたのに対し,倭が百済再興の救援のために朝鮮半島へ出兵したものの白村江の戦いで敗北した。この結果、唐・新羅と倭の間で軍事的緊張が高まり,それに対する防衛政策を軸として律令国家の建設が進んだ。
中大兄皇子は水城の築造や大津宮への遷都、朝鮮式古代山城を築き、北部九州沿岸には防人を配備し、即位後には初の全国的戸籍である庚午年籍の作成など、内政・国防重視の政策に転じ、唐・新羅への対抗を図った。また在地では豪族が寺院を建立するなど独自に大陸文化を受容する動きが進み、さらに文字の認識も進んだことで律令支配が浸透する素地が整備された。
④天武天皇の政治
飛鳥浄御原宮へ遷都
皇親政治の展開
大臣の不設置・皇親、皇族を重用
例.皇后(持統天皇)、草壁皇子、大津皇子、高市皇子(長屋王父)
公地公民の設定…部曲廃止・食封廃止・48位階制
八色の姓(684)
背景:壬申の乱で中央豪族の入れ替わりが発生し、天皇を中心とした豪族の身分秩序の再編成を目指す
内容
(a)真人…継体天皇の5世以内子孫の皇族のみ。公姓の子孫
(b)朝臣…臣姓の子孫
(c)宿禰…連姓の子孫
(d)忌寸…直姓の子孫・首、村主(渡来人系)の子孫
(e)道師…不明
(f)臣…皇別氏族に授与
(g)連…神別氏族に授与
(h)稲置…地方行政官の性格を帯びる
(史料)『日本書紀』
「詔して日く、『また諸の氏の族姓を改めて、八色の姓を作りて、天下の万姓を混す。一に日く、真人、二に日く、朝臣、三に日く、宿禰、四に日く、忌寸、五に日く、道師、六に日く、臣、七に日く、連、八に日く、稲置』。是の日に、守山公・路公・山道公(中略)、十三氏に姓を賜ひて真人と日う」
飛鳥浄御原令(681)
制定:粟田真人 内容:現存せず 施行:持統天皇
(史料)『日本書紀』
「天武天皇十年二月甲子、朕、今より更、律令を改め、法式を定めんと欲う」
「持統天皇三年六月庚戌、諸司に令一部二十二巻を班ち賜う」
国史編纂
帝紀・旧辞(欽明天皇)
→712古事記(元明天皇):稗田阿礼暗唱。太安万侶編纂
→720日本書紀(元正天皇):舎人親王編纂
天皇家と国家の歴史を定めることで、天皇権威の確立を目指す
貨幣鋳造
日本で初めて統一的貨幣の富本銭の鋳造(飛鳥池遺跡)
宗教政策
神祇制度の整備…伊勢神宮(斎宮制度:大伯皇女)
大官大寺制…仏教興隆(伽藍造営・維持・管理)
薬師寺建立:持統天皇の病気平癒を祈る
遣唐使派遣は中断:新羅の朝鮮半島統一で国内有事の可能性が消えた
持統天皇の政治
飛鳥浄御原令施行(689)
庚寅年籍(690)
背景:全国規模の本格的な戸籍を作り、人民の支配制度を確立させるため
内容:班田収授法が確立
※班田収授法(均田制:唐)
戸籍に基づいて、6歳以上の男女に6年に一度、口分田の班給を実施する制度。=人民の最低生活を保障して徴税対象を確保する目的
(史料)『続日本紀』
「小塞宿禰弓張言す、弓張らが二世の祖近之里は、庚寅の歳より以降、居地の名に因りて小塞の姓に従う。望み請う、庚午の年の籍に依りて、小塞を改めて尾張の姓を蒙り賜わらんと。之を許す」
藤原京遷都(694):都城制:唐長安
背景:統一国家の首都として、中央集権国家の威容を国内外に示す
内容
(1)自然要害:大和三山(耳成山・畝傍山・天香久山)
(2)「宮」(天皇政務)・「京」(諸豪族集住)
(3)南北街道:横大路・山田道
(3)東西街道:中ツ道・下ツ道
※礎石建築:瓦葺
結果:公地公民制(土地喪失・官人豪族・居住場所提供)
初の太政大臣・火葬となった
Q壬申の乱の結果、天武天皇はどのような政治を行ったか
A壬申の乱の結果、大海人皇子が勝利して天武天皇として即位した。大友皇子側についた多くの豪族が没落したこともあって天皇権威が向上し、天武天皇は有力豪族の政治への関与を避け、天皇や皇族を中心とした皇親政治を展開し、中央集権国家の建設を推進した
Q孝徳天皇から持統天皇までの時代における、古代国家の人民統治・支配の変遷を言え
A改新の詔第一条では公地公民制が謳われ、その後天智天皇は日本初の全国的戸籍である庚午年籍を作成し、初めて全国的な人民の把握を行った。壬申の乱後、大友皇子側についた多くの有力豪族が没落するなどして天皇権威が向上すると、天武天皇は部曲の廃止を行い、さらに八色の姓を制定して身分秩序を再編成した。持統天皇のときには飛鳥浄御原 令が施行され、それに基づき庚寅年籍が造られると、戸籍による人民支配制度が確立
白鳳文化
時期:天武天皇・持統天皇
特徴
(1)仏教国家保護:官寺・郡寺・経典重視
例.金光明経
(2)初唐文化:遣隋使・遣唐使
(3)国際色豊か:ペルシア・イラン
(4)律令国家形成:国家的普及
建築
※官寺:国家管理・維持
大官大寺(大安寺)
建築:舒明天皇
薬師寺
建築:天武天皇
概要
(1)病気平癒(持統天皇)
(2)薬師寺東塔:裳階・三重塔
※「凍れる音楽」(フェノロサ)
山田寺
建築:蘇我倉山田石川麻呂
深大寺
建築:満功上人
※神代植物園(旧寺領)
文学
漢詩文
大友皇子・大津皇子
和歌
額田王・柿本人麻呂
仏像
薬師寺金堂薬師三尊像・日光菩薩像・月光菩薩像
薬師寺東院堂聖観音像
概要:宝慶寺十一面観音像
法隆寺夢違観音像
法隆寺阿弥陀三尊像
概要:橘夫人(橘三千代)念持仏
興福寺仏頭
概要:山田寺→興福寺
深大寺銅造釈迦如来倚像
絵画
法隆寺金堂壁画
概要
(1)アジャンター壁画(インド)
(2)文化財保護法(1949)法隆寺金堂壁画焼失
高松塚古墳壁画
概要
(1)双楹塚古墳(高句麗)
(2)四神(青竜・朱雀・白虎・玄武)星宿図・人物図など
キトラ古墳壁画
上淀廃寺跡出土壁画