皆さま

こんにちは

徳王です。

 

本日は大正時代の外交です。

さあ、初めて行きましょう

 

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ワシントン体制

1.パリ講和会議

パリ講和会議(1919)

背景:ウィルソンによる「平和十四か条」の国際平和と民族自決

全権:西園寺公望・牧野伸顕(日本) ウィルソン(アメリカ)

   ロイド=ジョージ(イギリス) クレマンソー(フランス)

 

内容

①十四ヶ条の原則(ウィルソン)重視

 秘密外交廃止・海洋の自由・関税障壁の撤廃・軍備縮小

 民族自決原則・植民地問題の公正な解決・国際平和機構設立

 ※「平和に関する布告」(レーニン)対抗 

②国際連盟規約:第1編

 

③ドイツ海外植民地放棄

 

④領土割譲

アルザス・ロレーヌ:フランス割譲

ポーランド回廊:ポーランド割譲

 

⑤領土の国際管理

ザール地方:国際連盟管理(住民投票) ※炭鉱採掘権:フランス

ダンツィヒ:国際連盟管理(自由市) ※港湾使用権:ポーランド

 

⑥軍備の制限:陸軍10万以下・飛行機潜水艦の所有禁止

 

ラインラント非武装化 

 

⑧賠償金の支払い※ロンドン会議(1921年):1320億金マルク

ドーズ案(1924):アメリカ資本導入

ヤング案(1929):358億金マルク

ローザンヌ会議(1932):30億金マルク 

  

結果

(1)民族自決原則:ヨーロッパ限定⇔アジとア・アフリカ不適用

 

旧帝国の解体と新しい国家の登場

東欧諸民族の独立

旧ロシア帝国領:フィンランド・エストニア・ラトヴィア・リトアニア・ポーランド 

旧オーストリア帝国領:チェコスロヴァキア・ハンガリー                         セルブ=クロアート=スロヴェーン王国         

 

オスマン帝国領の分割 

サウジアラビア王国(イブン=サウード):独立

西アジア:イギリス・フランス委任統治 

(a)フランス委任統治領:シリア・ レバノン

(b)イギリス委任統治領=イラク・トランスヨルダン・パレスティナ 

 

国際連盟創設 

時期:1920年

本部:ジュネーヴ

機関 

(1)総会:最高決議機関(1国1票・全会一致)

(2)常任理事国 :イギリス・フランス・イタリア・日本 

(3)連盟事務局・ 国際労働機関(ILO:ジュネーブ)

(4)常設国際司法裁判所(ハーグ)

理念:列強同盟(平和維持)→集団安全保障(勢力均衡)

 

意義:集団安全保障 の理念に基づく世界史上最初の平和維持のための国際的機構

 

問題点

①敗戦国(ドイツ)・社会主義国(ロシア)不参加

②アメリカ合衆国不参加 

③経済制裁のみ:軍事的制裁・紛争解決不可 

 ※ドイツ(1926)・ソ連(1934)

 

ヴェルサイユ体制 

第一次世界大戦後の世界秩序

目的

①戦勝国(英仏):敗戦国(独)抑止

②集団安全保障体制:社会主義勢力の拡大防止 

③勢力均衡・帝国主義維持:再分割後の植民地支配の維持・民族運動抑圧 

 

日本の利得

(1)山東半島:旧ドイツ権益継承

(2)赤道以北の南洋諸島の委任統治(南洋庁:中島敦「山月記」)

(3)人種差別撤廃:日本人排斥運動を背景にする

アメリカ:日本人移民の脅威(ハワイ・カリフォルニア)

イギリス:白豪主義(オーストラリア)の反対


 

反日運動の高まり

朝鮮

三・一独立運動(1919)

背景:民族自決(ウィルソン)

内容:京城のパゴダ公園で独立を宣言

結果

(1)堤岩里事件:大韓民国臨時政府(金九・上海)

(2)文治政治(斉藤実):憲兵制度廃止・会社令撤廃・産米増殖計画

(3)京城帝国大学(1924)


 

Q三一独立運動は日本の植民地政策にいかなる影響を与えたか書きなさい

現役軍人に限られた朝鮮総督の資格を文官に拡大して憲兵警察を廃止した。朝鮮人官吏の登用や公共事業での開発を積極的にするなど親日朝鮮人を利用した文化政治へ転換した

 

中国

五・四運動

背景:パリ講和会議(二十一ヶ条要求拒否)

内容:北京大学学生が曹汝霖・章宗祥襲撃

結果

(1)日貨排斥運動・全国的な反植民地主義運動が展開

(2)ヴェルサイユ条約調印拒否

(3)民族運動の萌芽:反帝国主義・民主主義革命の出発点 

(4)旧民主主義革命(ブルジョワ・知識人)→新民主主義革命(プロレタリア)

(5)帝国主義:中国植民地化の諸悪の根源

 例.工読工助(李大釗):「新しき村」(武者小路実篤)共感

 

2.ワシントン体制と協調外交

戦後の国際社会

戦後被害の少ないアメリカが世界の覇権国となる

 例.ドーズ案

  アメリカ→ドイツ(援助・産業復興)→フランス・イギリス(戦債返還)→アメリカ

ソヴィエトは独自の外交を展開して計画経済を進める

中国では民族運動が高揚し、日本は国際政治での発言力を強めて中国へ進出


 

ワシントン会議

ワシントン会議(1921) 

主唱者:ハーディング(アメリカ)

全権:加藤友三郎・幣原喜重郎・徳川家達(日本) ※高橋是清内閣

背景

(1)建艦競争緩和:軍縮・戦後恐慌対策

(2)日本抑制:東アジア秩序再編成大戦

条約

四か国条約(1921)

構成国:米・英・日・仏

内容:太平洋諸国(相互権利尊重)・日英同盟破棄

 

九か国条約(1922)

構成国:米・英・日・仏・中・蘭・ベルギー・ポルトガル

内容:中国(特殊権益)・石井・ランシング協定破棄

 

ワシントン海軍軍縮会議

構成国:米・英・日・仏・伊

内容:主力艦制限 米英:5 日:3 仏伊:1.67

→日本海軍軍令部と憲政会は対米7割を主張して政府と対立

 

結果

(1)シベリア撤兵宣言

(2)山東半島懸案条約:山東半島(旧ドイツ権益)中国返還

※協調外交

①国際市場:資源(米英依存)

 例.外債募集・石油(イギリス)・綿花(イギリス)・鉄(アメリカ)

②戦後恐慌:輸出先確保

③国際的批判:五・四運動・三・一独立運動

⇔ワシントン体制・協調外交に反対する軍部は藩閥から独立して政府に対抗し始める

 

(史料)九か国条約『日本外交年表並主要文書』

「第一条 支那国以外の締約国は左の通約定す

  一、支那の主権独立並其の領土的及行政的保全を尊重すること

  二、支那か自ら有力且安固なる政府を確定維持する為、完全にして且最障 礙なき機会を之に供与すること

  三、支那の領土を通して一切の国民の商業及工業に対する機会均等主義を 有効に樹立維持すること

  四、友好国の臣民又は人民の権利を減殺すべき特別の権利又は特権を求む る為、支那に於ける情勢を利用することを、及右友好国の安寧に害ある 行動を是認すること差控ふること

 第三条 一切の国民の商業及工業に対し支那に於ける門戸開放又は機会均等 の主義を一層有効に適用するの目的を以て支那国以外の締約国以外 の締約国は左を要求せさるへく又各自国民の左の要求することを支 持せさるへきことを約定す

  (イ)支那の何れかの特定地域に於て商業上又は経済上の発展に関し自己 の利益の為一般的優越権利を設定するに至ることあるへき取極」

 

(史料)ワシントン海軍軍縮条約『日本外交年表並主要文書』

「第一条 締約国は本条約の規定に従ひ各自の海軍軍備を制限すへきことを約     定す

 第四条 各締約国の主力艦合計代換噸数は基準排水量に於て合衆国五十二万五千噸、英帝国五十二万五千噸、仏蘭西国十七万五千噸、伊太利国十七万五千噸、日本国三十一万五千噸を超ゆることを得す

 第五条 基準排水量三万五千噸を超ゆる主力艦は何れも締約国も之を取得し又は之を建造し、建造せしめ若は其の法域内に於て之か建造を許すことを得す

 第七条 各締約国の航空母艦合計噸数基準排水量に於て合衆国十三万五千噸、英帝国十三万五千噸、仏蘭西国六万噸、伊太利国六万噸、日本国八万一千噸を超ゆることを得す

 第十九条 合衆国、英帝国及日本国は左に掲くる各自の領土及属地に於て要塞及海軍根拠地に関し本条約署名の時に於ける現状を維持すへきことを約定す」



 

Qワシントン会議の内容とその歴史的意義について書きなさい

A主力艦建造を10年間停止し、保有比率を英・米各5・日3・仏・伊各1.67と定めた史上最初の軍備制限条約であるワシントン海軍軍縮条約を結んだ。また、太平洋に関する四か国条約を締結した。その上で中国の主権尊重・領土保全・門戸開放・機会均等を約束する九カ国条約などが結ばれた。日本政府はアメリカと協調を保ち,権益の維持をはかるために会議に参加してそれらの条約に調印した。九カ国条約に基づき中国と個別協定の山東懸案解決条約を結んで山東省旧ドイツ権益を返還した。

 

Q軍部が内閣から独立して発言力を強めることができた理由は何か

A参謀本部と海軍軍令部は内閣に所属したが軍部大臣現役武官制の下で内閣の閣内不一致の原因となった。統帥権は軍の編成や用兵の規模などを決定する権利であった。統帥権は内閣から独立して軍部が行使でき、大本営が軍政の最高機関となった。編制権は陸海空軍大臣の輔弼事項であり、内閣の責任範囲であったため対立した。統帥権干犯事件や満州事変の際に統帥権が焦点になると内閣の抑止力は減少して国際協調路線を破綻に導いた。

 

A大本営は戦時・事変に際して設置され、参謀本部と軍令部を統括する最高戦争指導機関である。天皇大権のうち、各国務大臣の干渉を許さない統帥権を事実上輔弼する機関であったため、大本営は文人ないし近衛首相の出席を拒否し、天皇のみが陸軍と海軍の対立を統制する機能を持った。統帥権の独立によって,国務と統帥=政略と戦略の分裂を危倶した日本政府は,やむなく大本営設置と同時に新たに内閣と大本営の連絡調整、国務と統帥を調整する必要のために大本営政府連絡会議を設けた。その後、小磯国昭内閣は大本営政府連絡会議を廃して,戦争指導における総理大臣の発言権の強化し、内閣の指導の下に国務と統帥との一元化を図るために最高戦争指導会議を設けたが、官制上の機関として設置されたわけではなく、目的とした大本営と政府との一元的な政治指導は実現せず,軍部と政府との連絡調整機関にとどまり、実質的に従来の大本営政府連絡会議の域を出るものではなかった

 

Qワシントン会議に日本が参加した理由を書きなさい

日露戦争後においては、南満州をめぐって日米が対立したが,日英同盟・日露協商により国際関係は安定していた。しかし、第一次世界大戦期を経るとイギリスの国際的地位が後退,ロシア革命で帝政ロシアが崩壊した。また、東アジアのドイツの拠点であった中国山東省の青島とドイツ領南洋諸島を軍事占領し、中国の袁世凱政権に二十一カ条の要求を突きつけるなど、第一次世界大戦期には日本が東アジア・太平洋地域に勢力を拡大して日米対立も激化して中国民族運動も高揚して、国際秩序が不安定化していた

③協調外交(幣原外交)

背景:立憲政友会(高橋是清内閣)・協調外交

内容

(1)中国不干渉政策:中国資源獲得→米英開戦へ

(2)中国市場の拡大:関税自主権尊重

=憲政会・立憲民政党(加藤・若槻・浜口内閣)の幣原喜重郎が推進

 

結果

(1)軍縮:加藤友三郎内閣…加藤友三郎(海軍)・山梨半造(陸軍)

(2)在米移民:排日移民法…静観の立場(外交上は協調外交)

(3)日ソ関係:日ソ基本条約(1925) 全権:芳沢謙吉(日本) カラハン(ロシア)

      北樺太(サガレン)撤兵と引き換えに油田の半分の開発権獲得

(4)日中関係:五・三十運動…在華紡でストから中国人労働者が死傷

 

Q協調外交政策の破綻の過程を書きなさい

A対米英協調によって列強間の中国権益の相互承認を図るとともに中国への内政不干渉および中国との交渉を通じて既得権益維持をめざした。しかし、北伐と金融恐慌によって枢密院・軍部の支持をえた政友会の田中内閣による積極外交に代わり,欧米諸国に対しては幣原外交時代の協調外交方針を受け継ぎ、ジュネーブ軍縮会議に参加し、不戦条約に調印したが、対中国政策では従来の幣原外交の協調外交に反して、山東出兵を行うなど積極外交政策をとった。後に復活した幣原外交も中国の国権回復運動や日貨排斥・排日運動の激化と昭和恐慌の下で,関東軍が満州事変を起こして破綻した