どうも皆さん、
キンジです。
原則として、
自己投資ってものは、
お金とか資産を増やして行くものではある。
が、
お金を増やすのは、それは仕事とか、
ビジネスであれば良いものでもあり・・・・・・、
資産ってものは、
何も、お金だけに限られたものでも無いし、
自分の時間が増えるとか、
自分の時間がより充実するって事も、
その範疇に入ってくる。
それらを踏まえた上で、
やっぱり、何か手を動かすとか、
スキルの行使を持ってして、
自己投資足り得るとは言いたいものだし、
旅行とか移動とか、
足を使うって行為も、
自己投資の範疇には入ってくるかも知れないが・・・・・、
結局は、
足を使う行為ってものは、
誰と何処に出かけるとか、
そこに付随する世界観とか、ゲーム性に依存する訳でもあり、
基本的には、
節約を考慮するような、
消費行為であるとは言える。
が、まぁ、
サービスの質を高めて、
そこに付随する世界観とか、ゲーム性を、
自分の好ましいものに変化させる行為は、
自己投資とは言える。
ある意味、
ゲームとか、アニメ、漫画、映画、ドラマ自体はそのまんまじゃあ、
「ただ、遊んでいるだけ。」に過ぎないもの。
が、
それを実際のスキル等に、
応用・流用する事によって、
その本人にとっては、
そのゲーム性とか、ストーリー性に、
実際の、
「お役立ち。」に繋がる情報や、
スキルが組み込まれて行く事によって、
「ただ、遊んでいるだけ。」のエンタメに、
ビジネス的、仕事的な、
「お役立ち。」が加えられる事により、
仕掛け側と、受け手側に、
情報格差が生まれるとも言えるし・・・・・・、
ある意味、
「なんかズルい人。」にも写ってしまう。
・・・・・・が、
そこで助けとなるのが、
実際に、
実務能力としての、スキルが存在しているという、
事実でもあるのだ。
それは、
ある意味、
不要なマジメくささを和らげる側面と、
どんな事においても、
「戦える姿勢。」と言う、
2つの利点を選択することが可能にはなる。
マズローの5段階欲求説の中の、
自己実現欲求の上の、
自己超越欲求ってものが存在するけど、
個人で言えば、
自己超越欲求ってものは、
過ぎた欲求であるとも言える。
何よりも、
自己実現欲求ってだけでも、
元々、最上位の欲求であるし、
自己実現欲求それだけでも、
既に、
出来上がった物事を、
ポジショントークだけで済ますんじゃあ無く、
何か新しい取り組みの中で、
意識的に追求して行くって事自体が、
訓練的、トレーニング的でもあり、
それよりも下位の欲求も包括してくるだけに、
掲げて行くには、必要十分な欲求でもある。
し、
自己超越欲求ってものは、
なんだか・・・・・、
口だけで済まされている側面が、
大きいと感じる。
即ち、
自己実現を追求して行く事こそ、
所謂、
普通な状態でもあり、
ある種の頑張りを要求される欲求であるもの。
また、
自己実現欲求ってものは、
世界観とかゲーム性が大事になるものでもあり、
世の中のエンターテイメント要素を、
上手く活用する事によって、
それは成し遂げる事が可能でもあるが、
結局は、
人を認めさせる為には、
実務ってものが、必要不可欠でもある。
即ち、
自分の為に、人に認めさせる為には、
何かしらのスキルの行使を持ってして、
結果を持って認めさせるって事も、
必要となるので、
現実的要素と、ファンタジー的要素の、
バランスが良い。
そこで、
自己超越欲求を掲げだすと・・・・・、
現実的な結果を見ない、
「痛い人。」にはなりガチでもあるし。
※まぁ、そんな場合はその本人も否定しきれていないものでもある。
個人的に思うのは、
「実務的なスキルが出来ている。」って事実が、
結局は、
残酷でもあるが、やりがいもあるからこそ、
何かしらを認める為には、
一番良いものでもある。
ゲームを何かしらのメソッドとして使うには、
少なくとも・・・・・・、
何のゲームかの具体化と、
そのゲームのストーリー、ゲームシステム等を語る必要性があるし、
その上での、
そのゲームの強み=他のゲームとの差別化を示す必要性もあるし、
それでこそ、
安売りの為のゲームとの関連じゃあ無くて、
高い価値観の為のゲームとの関連が為されるし、
自分のやり込みデータとかがあれば、
その証拠・・・・・・とまでは行かないまでも、
信憑性は増す。
まぁ、
証拠で言えば、
そのメソッドの結果を持ってして、
その証拠とはなるでしょうが。
・・・・・って考え見ると、
ストーリー物の方が、
人にシェアする上では、
使い勝手が良い=見るだけでも効果的ではあるけど、
ゲームの方が、ちゃんとシェア出来うると、
その効果自体も、高い効果を期待出来るものではあるが・・・・・・、
勿論、
その専用メソッドありきで、その効果を享受出来るものだろうし、
どうせなら、
そのゲーム自体も、
ちょっとマニアックなもので、
尚且つ、
やり込み要素までを考慮されたものの方が、
効果自体も高く見積もれるけど・・・・・、
結果的に、
ちゃんと再現出来うる人を、
厳選してしまう側面もある。
し、
子供向けのゲームのような、
簡単なゲーム性のものは、
価値提供には向かない。
どちらかと言えば・・・・・・、
無料アピールの方になりガチ。
エレキギター、音楽で言えば・・・・・、
ギタリストど〜こ〜じゃあ無くて、
「俺の音楽。」とか、
「俺のギター。」って成るのが一番なのかも。
差別化とは言うけれども、
自分で意識的に、変な事をして、
道とか方向性を見失うんじゃあ無く、
「自分の普通。」とか、
「自分に響く事。」を妥協せずに追求することが出来ると、
自然に、ユニークな他ではちょっと出来ないものには成るはず。
また、
自分で意識的に、変な事をして行くって事は、
所謂、
「値下げ。」とか、
「お得感。」を出す為・・・・・・、
即ち、
とにかく、数を捌く必要に駆られた時に、
やってしまいガチな事。
そのような、
値下げとか、無料配布の圧力ってものが、
誰しもが受けてしまうものではあるけど、
本来なら、値上げを目指すべきではあるし、
その為にも、
他じゃあ再現出来ない、
もしくは、
再現し辛い、それ相応コストが掛かる等の、
差別化ってものが必要だし、
それが無いって事=値下げとか、無料配布の圧力に、
さいなまされるって事でもある。
「自分の普通。」とか、
「自分に響く事。」とかは、
実は、
誰しもが可能な、アート活動的側面があるものだし、
アートってものは、
そもそもとして、
横並びの、コモディティ化する事自体が、
難しいものでもあるからこそ、
その価値を測る際には、
逆に、
誰から見ても分かり易い、
機能性とか、コモディティ要素を持ってして、
価値を測る必要がある。
が、
その上で、
その受け手の普通とか、
その受け手に響くって事自体が、
そんな機能性とか、コモディティ要素を超越した、
「唯一無二。」な、何物にも変え難い価値になり、
結果的に、
価値以上の価値の提供に繋がる。
要するに、
不当な値下げとか、無料配布の圧力を、
抹殺する事が可能って事。
僕自身の音源で言えば、
「俺のB'zのTIME。」って感じでもあり、
「俺のGLAYのHOWEVER。」って感じであり、
ギター、ベース、ドラムだけの構成かも知れないけど、
より、ギターを前面に出した作品とはなっているし、
エレキギターのフレーズの細かい所は、
全部、
「自分でこそ。」
「自分ならでは。」とは、
良い意味でも悪い意味でもなっているものだし、
演奏の部分は意識的に、
ジャストのタイミングを回避したり、
人の演奏ならではの、
ノイズを出した上での、そのノイズのコントロール等を行っているものだし、
ある意味、
人の著作権の作品ではあるから、
無料で出す事も可能ではある。
自分のオリジナルであれば、
安売りは出来ないだろうし・・・・・・、
まぁ、
そもそもとして、
ビジネスモデル次第でもあるし、
ただのポっと出のおっさんとか、
ニイちゃんのオリジナルなんて、
まず、評価されないだろうけど・・・・・、
だからとは言っても、
その本人にとっては、
それ相応の価値があるだけに、
揉め事に繋がりガチではあるだろうし。
まぁ、
その上で、
演奏者のオリジナリティってものは、
ある意味、
出し惜しみはしないつもりではありますし、
また、
アレンジャーとしてのオリジナリティってものもまた、
出し惜しみ・・・・・っていうよりかは、
駆使して行かない事には、
まず、
「自分の納得。」を勝ち取る事が不可能には成ると。
・・・・・・その、
「自分の納得。」の性で、
安売り出来ないとか、無料感を抹殺してしまうものではありますがね・・・・・(苦笑)。
ジレンマではあるけど、
必要不可欠なものでもあり、
代理戦争においての、闘争心の源でもあると。
大体の、
自己投資ってものは、
そのような、
差別化の為、唯一無二の為に、
必要となるものでもあり、
結局は、
「自分でこそ。」
「自分ならでは。」を、
良い意味でも悪い意味でも、
強化されるものにこそ、
時間やお金を投じて行く事が、
何かしらのビジネスをやる際に、
値段を上げて行く事にも繋がるって事でもある。
まぁ、
もうある一定以上の値段の底上げが出来ているのであれば、
便利性、機能性を取って、
コモディティ要素を充実させて行くって手もあるのでしょうが、
それ自体は、
差別化とか、唯一無二の為には、
ならないものでもあるし、
それによってまた、
値下げとか、無料配布の圧力が、
強まって行く側面があるものかも知れないですね・・・・・。
それこそ、
ある意味、
「自分の利便性の為だけ。」のものかも知れませんし、
多くの数を売り捌くんじゃあ無くて、
「選ばれしもの。」になったり、
本気のニーズに応えて、
限られた人にだけ、
高額のサービスとして提供する為には、
唯一無二的なアート性が必要であるし、
それを手放しで批判する人々そのものが、
値下げとか、無料配布の圧力に抵抗する事が、
出来ないからこその、
批判なのでしょうね〜。
値下げとか、無料配布の勝者ってものは、
絶えず入れ替わって行くものでもあるし、
「必ず、長生き出来ないビジネスになる。」って前提の話ではありますが。
正に、
レッドオーシャンの乱世の戦場の話ですよね・・・・・。
最近は、
スポーツも筋トレも仕事って言うよりかは・・・・・、
エンタメ的なものとして、認知されてきているから、
そのビジネスモデルの上での、
エンタメ要素とか、
大きな定義=具体性は様々な形態にての、
「絵を描く。」(勿論、実際に絵を描くだけを指さない。)って事、
即ち、
「アート性の表現。」を持ってして、
オリジナルってものの、
唯一無二な価値観ってものが、
出来上がっているのだろうと。
そう考え見ると・・・・・、
あまり、
機能性だけに特化したものは、
人間味が薄れるものでもあるから、
アート性としての評価も、
イマイチなのでしょうと。
機能性が凄いのであれば、
その凄いの中での、
「その人の普通。」とか、
「その人に響く事。」ってものの方が、
アート性の評価軸としては、
相応しいもの。
料理の話をすれば、
おかずを作るんじゃあ無くて、
大きな定義でのごはんを作る。
プレートとか、丼とか、
コース物とか。
要は、
献立として、
決めつけてしまう事にも意義があるし、
料理名ってもんを、
作ってしまっても良い、
っていうか、
作った方が、絶対良い。
その方が、
べネフィット=世界観とか、イメージとか、
ストーリー的に伝わりやすくなり、
食欲も刺激されるし、
定番料理のようなものにも、
より、
「それらしさ。」がフィーチャーされるし、
らしさが無い料理ってものは、
その味を確かめて行く過程が、
まどろっこしい。
ライブ演奏とか、一発どりってものは、
結果的に、
「ミスが存在する事。」によって、
それがコモディティ化を回避する事=人が演奏している証明ともなり、
そこに、アート性が生まれるもんでもある。
ある意味、
「ミスで絵を描いて、ミスでアートする。」って事ではあるが、
基本的には出来ている前提の上での、
細かい視点でもあり、
解像度が高い視点でのミスってもの。
そう考え見ると、
エレキギターの歪ました音ってものは、
それだけでミス=ノイズでもあるもの。
その上で、
「絵を描く。」
「アートする。」って事。
差別化を測るのに、
一番有効的なのは・・・・・、
アート性でもあり、芸術の趣味。
けれども、
それは、
商品、サービス自体が、
ほんと、誰でも出来る事とか、
誰がやっても同じ事となっている場合に、
特に有効・・・・・・って言うか、
そこで違いがなければ、
安く扱われるばかり。
逆に言えば、
サービスや商品自体に、
アート性でもあり、独自の芸術性がより濃厚な場合にては、
趣味なんてものは、
ありふれた誰でもやっている事でも良い。
無料のサービスなんてものは、
「自分が行うだけで楽しい事。」か、
それか、
「余程、ぶっ刺さる属性の人。」が存在しなければ、
やる理由が無い。
情報発信として、
幼児ウケした所で、
良い所は皆無と言っても過言では無いし、
幼児とか子供には、
ヒール役とか、絡まれるくらいの方が、
何かと都合が良い。
自分も子供なら良いんですがね(笑)。
無料コンテンツとは言っても、
あまりにも、
無料無料押しのコンテンツは、
逆に言えば、
変なものを押し付けるコンテンツであるとも言える。
が、
その中でも、
その本人の為にもなっているコンテンツってものは、
少なくとも、
受け手にとっては無料ではあるけど、
その本人にとっては、
ちゃんと対価=お金や時間を費やしているものとは言えるし、
だからこそ、
その本人の為になっているって事。
いらない無料コンテンツ対策としても、
自分の無料コンテンツを強くしておく必要もあるし、
それでいらない無料を、
「倒す。」
学校のつまらん授業をやる過ごす為に、
教科書とかノートにパラパラ漫画を描いてみたり、
単純に落書きしたりした人がいるとは思うけど、
僕自身で言えば・・・・・、
なんか、無駄に機能性が付いた筆箱とか、
鉛筆とか消しゴムを駆使して、
なんかよ〜覚えては無いけど、
ゲームを作って遊んでいたような気がする。
それの合間に、
黒板を写生したり、
先生の質問に備えていたような気がせんでも無い。
今思えば、
それを止められていると、
学校なんて、本気で行ってられなかった、
退屈な授業の時間を耐える事が出来なかったような気がする。
勿論、
楽しい授業=興味深い授業もあった訳だけれどもの。
大人になった上で思うのは、
それは、
「学校の授業中。」と言う、
使えるものや場所制限等の、
使えるものが極々限られた現実の上での話でもあり、
もっとあらゆる物やツール等を使って、
それが出来るのが、
大人の自由でもある。
・・・・・が、
勿論、
社会のルールを護る上での、
そう言った、
世界観とかゲーム性のような物を活用する事と、
ある意味、
自分の理想と、現実との、
折り合いを付けて、
「納得を勝ち取る。」為にこそ、
そういった概念を活用する事は、
言うまでも無い事かも知れないね。
満足を返上してでも、
「納得を勝ち取る。」事に、
意義がある。
害に感じる無料の対策をする事が、
結局は、
「根本治療をする。」って事でもあり、
対処療法は、
結局は、
ちょくちょく悪くなる前提、
もしくは、
軽く悪くさせる前提で、
軽い治療を繰り返す事でもあるのでしょうね・・・・・・。
即ち、
その無料の為にこそ、
お金や時間を投資する事が重要なのでしょうと。
それらを踏まえて、
実は、
過去に掘り下げておいた記事は下記から・・・・・・・。
応援、宜しくお願い致します(^^)
また違うんだけど、解るわぁ~(共感)ってなっちゃった方は、ポチッとな♪