※途中から、記事の容量限界の為、色が無くなっているのでご了承を。
どうも皆さん、
キンジです。
セルフエフィカシーって言えば、
所謂、
自己効力感の事ではあります。
自己効力感って言うのは、
自己肯定感とも似ている概念ではありますが、
また少し違った概念ではありますね。
所謂、
自己肯定感って言うのは、
自分で自分を認めるとか、
自分褒めで使われるような、
即ち、
自己満足を生み出す為の概念であるとも言えるでしょう。
もう一方の、
自己効力感ってものは、
ある意味・・・・、
中二病的な概念にはなりますが(笑)、
要約すると、
集中して、無我夢中になる事により、
一点集中から拡散集中の状態に入る事によって、
目の前の事柄から、色んな関連した物事へ、
アプローチして行けるような・・・・、
ある種の、
錯覚を生み出す事によって、
自己洗脳効果を発揮し、
それによって、
要するに、
「テンションが上がる。」とか、
「元気が出てくる。」効果を指して、
自己効力感という事なのです。
勿論、
自己洗脳的効果の事を、
意識においておかない事には、
実際のアプローチまで届かないでしょうから、
ある種の、
自己満足を返上して、
納得を勝ち取る必要性が出てくる概念にはなる事でしょう・・・・。
そのような、
セルフエフィカシー(自己効力感)を活用して、
「どのようにして人生の主人公となって行くか??」って事が、
今回の課題にはなっているのですが・・・・・、
だからとは言っても、
我々のような、
文章、音声、音源、動画等の、
コンテンツを作っている、コンテンツメーカーは、
原則的に言えば、
主人公ではありません。
主人公ってのは、
何時でも、読み手、受け手である必要性がある・・・・って事なのですし、
コンテンツメーカーは主人公では無く、
名脇役であり、
強キャラである方が良いし、
そうじゃあ無いと、
コンテンツを作る意味も無いし、
「あなたがやる理由すら無い。」
だからこそ、
強キャラたる為にも、
オリジナルのアート性を創造する必要性があるとも言えるのです・・・・・!!
それらを踏まえて言いますが、
スピリチュアル的な事、
哲学的な事っていうのは、
自分で経験を踏まえて、
自分の言葉で定義していかないと、
他人軸主体となってしまうものでもあります。
それ即ち、
自分で経験を踏まえて、
自分の言葉で定義して行く事自体が、
アート性を発揮するって事でもあり、
自分自身の経験を踏まえた上での、
ポジション取りでもあり、
ポジショントークでもあるが、
その正味のポジショントークが、
自分の為になっている事が重要でもあり、
自分の為になるって事自体が、
社会性を無視しない事も必要となり、
それはそのまんま、
刺さる人が必ず存在するって見解も必要になってくるでしょう・・・・・!!
また、
上記で、社会性とは言いましたが・・・・・、
社会より大きな概念として、
世界って概念を良く使うかも知れませんが、
社会からただ単に、はみ出したとしても、
世界の事を考えているとは、
考え辛いものである事を、
補足してきましょう・・・・・。
世界って概念も、
曖昧であるが故に・・・・、
世界って言うなら、
どの国のことかを、
ハッキリさせる必要性があるし、
世界観とするならば・・・・、
それはもう、宇宙って概念の方が、
相応しい・・・・かも知れませんし、
宇宙も当たり前の時代がきたならば・・・・・、
それは、
銀河系外って表現になって行くのでしょうが、
現時点ではそこまでは必要ないのでしょうね・・・・・。
アニメオタクとかなら必要かも知れませんが(笑)。
また、
何も人より優れたスキルが無いって思う人にとっては、
オリジナルダンスとか演技が重要であり、
そのスキルを通すことによって、
理想でもあり、哲学ってものを描くことが可能になり、
それによって、抽象度を高めるって事が可能だし、
そのオリジナルダンスも演技も、
得意なスキルの行使にさえも、
必須になってくる概念ってものが、
要は、
リズム感ってものではありますし、
もっと突っ込んで言えば、
間の取り方ってものも、
リズム感の範疇にはなってくるでしょう・・・・・!!
ある意味、
リズムに乗っていながら、
間を取るって行為は、
速筋でタイミングを図りながら、
遅筋を使って間を取るって事でもあり、
それこそ、
スポーツ的な運動神経をも、求められるものにはなりますが、
まぁ、
リアルタイムで、
リズムマシーンとか、メトロノームに合わせる訳じゃあ無いので、
自分のリズムで行えば良いものではありますが・・・・・、
逆に言えば、
だからこそ、
センスってものが問われるものにはなるのかと。
ここから、
音楽的な話にはなりますが、
音楽で言えば、
コードとメロディーでいう所の、
調和の意識=不協和音を回避するって事も、
全体として聞いて、
耳障りの良い音楽にする為には、
重要にはなるが、
敢えて、
不協和音にするって事、
敢えて、
不協和音となる音符を足したとしても、
それが、
全体として、不協和音続きの場合は、
人から奪っている意識とはなりますが、
全体としては、
割と調和を感じる意識の場合であれば、
それは、
「価値提供している意識とはなる。」とは思いませんか・・・・??
・・・・・とは言っても、
全てが完全に調和している完璧過ぎる、
打ち込みの音楽ならともかくとしても、
人が演奏している音楽ってものは、
何処かしら、
不協和音的な所も存在しないと、
「刺さらない。」と言うか、
綺麗事は言ってるけど、
誰にも響かないって事になると、
個人的には思う次第ではありますね。
また、
人のニーズがど〜こ〜よりも、
まずは、自分自身が客観的に観て、聞いて、
自分自身に、深く刺さらないとダメダメでしょう・・・・。
・・・・って言うか、
自己満足から始めて、
自分自身の納得ラインに刺さって無い事には、
続ける理由すら無くなるし、
深く刺さるって事は、
それだけ深く刺さる人は出てくるが、
だからこそ、
アンチも増えるって事だろうし、
大衆的に見れば、
賛否両論となるのが当たり前だけれども、
深く刺さる事を目指していかない事には、
セールスが成立しないし、
教育とか信頼関係構築、信用問題にて、
追求の手が緩んでしまうものでもあるでしょう・・・・・!!
まぁ、
結果的に、
自分=提供側と受け手には、
温度差が必ず存在して行く事にはなるのですが。
また、
僕の音楽コンテンツで言えば、
主人公は、
踊り手か歌い手となるでしょうし、
音源としては、
一番近いのはドラムかも知れません。
まぁ、
受け手で踊り手、歌い手が現れれば、
ドラムでさえも、
脇役になるし、
もっと言えば・・・・、
打ち込みである、ドラムとベースは、
最大の宿敵(悪魔)でもあり、最高の導き手(天使)とはなる事でしょう・・・・・・!!
ちなみに、
僕自身=エレキギターは、
その間にいる導き手=人間側代表でしょうかね(笑)。
ここで補足を入れると・・・・、
基本的に、
ベースは仕掛け側の為の、
コード感の目印的存在だし、
キチンと鳴っていれば、
後は、
ベーシストは、
ダンス中心にパフォーマンスを楽しんでいれば良いくらいでもあり、
音源として、
そない前に出ていなくていいし、
ベースの音量バランスを上げるなら、
もっとメンバー(他の楽器)が必要になるし、
ベースがデカ過ぎると、
なんだか、
他の楽器がオモチャみたいな音に聞こえて、
ショボく聞こえるんですよね〜・・・・・・。
豪華な布陣だと、
まともに聞こえるんですが。
どうせ、
ライブだと音が聞こえ辛かろうが・・・・、
爆音の低音自体が、
腹に響いてくるので存在感があるものではありますし、
有名なプロの人は、
誰とは言いませんが・・・・・、
自分のCDは聞かないとも聞きますが・・・・・、
それでも、
自分で聞きそうなレベルの、
生演奏感が存在しているのが・・・・、
僕自身の、一発どりのエレキギターの音ではあると、
自負しております。
勿論、
自分で演奏していたら、
自分の生感のある音は、
聞かざるを得ないのではありますが・・・・・(笑)。
また、
ある種の、
デモテープ的音源ではありますが、
簡易的に、
ミキシング、マスタリングは終えていますし、
音の配置バランス的に言えば・・・・、
ドラム=中央、ベース=下手(しもて)=左側、
エレキギター=上手(かみて)=右側となっております。
ヴォーカルが入るなら、
勿論、
中央にはなりますが、
その他のシンセサイザーとか、
ピアノ等の場合だと、
左右どちらかよりの、
ベースとギターとは被らない位置どりにはなるでしょうと。
まぁ、
そうなると、
ヴォーカルを中央から少しずらすとかもありでしょうし、
ヴォーカルとか弾き手は歩いて行けますが、
ドラム、シンセサイザー、ピアノは、
基本的には歩けませんしね・・・・(笑)。
また、
ドラムもベースもギターも、
伝統芸能的なイメージを持つものではありますが、
その中でも、
「またお前か。」感が強いのが、
ギターかと(苦笑)。
何故ならば、
ドラム、ベースにはあまり、
替えは居ないし、
居ても、
ドラム=パーカッション、ベース=シンセサイザー等だけれども、
エレキギターには、ライバル楽器が多過ぎるし、
ザっと上げただけでも・・・・・、
ピアノ、シンセサイザー、バイオリン、サックス等の、
クラシック楽器等々・・・・・・etc。
「またお前か。」感前提だからこその、
無限の可能性ってものが存在するものだけど、
その、
「またお前か。」感を変えてしまうと、
逆に、
用無しのものでもある・・・・とは言えるのでしょう。
だからこその、
縛りであり、
伝統がある中での、
ギャップを見るが故の、
無限性って感じではあります。
・・・・て事は、
実際に自分で行う物事ってものは、
大抵が、ギター的でもあり、
自分であり、自分のキャラクターってものが、
ある意味、
「またお前か。」感のあるものと言えるし、
自分で見れば尚更、
そんな感じにはなってきません・・・・・??(笑)
それを考えみても、
ギターフレーズのチョイスというか、
楽曲の中でのアレンジ的に言えば、
本来の本物の完成品の場合だと、
ギター以外にも、あらゆる楽器隊が入ってくるのもあるので、
ギター自体で使われる音域ってものが、
ある程度決定され、
ある意味、
狭い音域の中だけのアレンジに留まるのが、
定石ではあるのですが・・・・、
逆に、
僕自身の音源のような、
3ピース、ドラム、ベース、ギターって構成だと、
ギターは幅広い音域を使ったチョイスでもあり、
アレンジをして行った方が、
飽きがきにくい楽曲には仕上がるし、
ギター一発どりのオーヴァーダヴィング無しなら、
尚更、
幅広い音域=色んなポジションでの演奏を、
心掛けた方が良いとは言えるでしょう・・・・・!!
また、
楽曲としては、
出来うる限りは、シンプルな構成であった方が、
耳が疲れにくく、
胃もたれせずに、
回数を聞ける音楽とはなりますし、
色々入っていた方が、
勿論、
豪華であり、インパクトも大きく、
出たとこ勝負に強くなって行くものではありますが、
聞いていて疲れ易くなる側面もあるのです。
話が音楽の話に偏ったので、
少し戻しますと・・・・・、
今こここの瞬間に従って、
直感的に反射的に生きていると、
ありのままで無限の可能性なのかも知れませんが・・・・、
アメリカ等の銃社会で発砲事件が起こるって言うのも、
直感的だし、
大抵の暴力事件ってものは、
直感的に動いた末に、
刑事問題となり、
刑務所に入って、人生を棒に振るって事が、
起こっています・・・・・。
だからこそ、
直感の前の直観ってものが大事でもあり、
それは要するに・・・・・、
自分自身の直感を言語化し、
あらすじでもあり、筋書きでもあり、段取りを、
予習でもあり、下準備しておくって事でもあり、
それでも心もと無いなら、
好きなエンターテイメントでもあり、
流行ったエンターテイメントと関連させておく事によって、
直感のまま行動する事を回避する事が重要とはなります。
直感は、
芸術活動か、文章化する事によって、
あらすじでもあり、筋書きでもあり、段取り化しておく事が、
超重要でもあるし、
直感のエエトコって言えば・・・・、
宝くじに当たるとか、ギャンブルで勝つくらいのものでもあり・・・・、
リスク=人生を棒に振る=取り掛かっている物事、
ステージから退場するを考慮すると・・・・、
その直感に頼る部分=アイデア勝負の部分ってものは、
手頃な部分にする方が良いし、
それ以外の部分においては、
徹底的に、マネジメントしておく必要もある事でしょう。
し、
そのあらすじ、筋書き、段取りってものは、
言語化する=話してみる=文章化する=メモをとるでもあり、
スキルの行使において、オリジナルダンス化する、
もしくは、
演技とする事によって、
アート性が必要とされ、
表現として完結して行く事により・・・・、
直感的にわいた感情、
それがプラス、マイナスどちらの感情にせよ、
昇華させて行く事が可能になるのです・・・・・!!
それ即ち、
セルフマネジメントとなるって事だし、
その直接的に関わった相手さえも、
コントロールする事を手放す事になり、
ある意味、
その相手のコントロールさえ、
他力本願的になるし、
自分自身=自分でコントロール出来る領域においては、
自暴自棄になって、
コントローラーを手放す事が無くなるし、
アート性=表現だと捉えると、
エンターテイメント、芸術としての、
あらゆる可能性も見えてきて、
文字通り、自由度が限界突破して高まる・・・・・って事ではあります。
また結局は・・・・・、
一人から、
トレーニング的に、ゲーム性をも考慮して始めたり、
進めたりするのが、
マインドセット的に言えば、
一番、
抽象度は高まるものではあります。
が!!・・・・・、
一人から無理をすると、
本当に、死が見えるので、
難易度設定等には、注意が必要だし、
正に、
トレーニング的、RPGゲーム的に、
長期的視野の元に、
成長を考慮しつつ、マネジメントする必要性があるし、
だからこそ、
やり始めとか段階によって、
見えない視点とか、見えてくる視点もあり、
それがモチベーション管理にも有効的には使えるのですが、
結果的のゴールであったとしても、
既に見えていた視点ってものは、
それはゴールでは無いし、
それは相応しく無いし、
それで人生終わりでいいのなら、
そのゴールで良いのかも知れませんが。
・・・・て事は、
脳死するまで、
心臓が止まるまでは、
ゴールってものは、
まだ見えていない領域にこそ、
描いて行くのが相応しいし、
それを、
自己満足を返上して、
納得を勝ち取ると言うのだろうし、
ある意味、
歴史的、
明治維新的にいえば・・・・・、
大政奉還するって事とも言えますね〜。
またまた、
言葉をスキルに変換するか、
スキルを言葉に変換するかが大事でもあり、
それによって、
抽象度の移動が行われるし、
その共有が上手い人が、
コミュニケーションの達人だし、
仕事ってものは、
その共有によって行われるものだけれども、
言葉かスキル、
どちらか一方でも共有が為されれば、
仕事として成り立つ=結果を出していけるとも言えるし、
言葉なら言葉に特化した上で、
色んな抽象度を想定し、
人に合わせた共有が出来ると良いだろうし、
スキルもまた、
色んな抽象度を想定し、
人に合わせた、もしくは、場面に合わせた、
共有が出来ると良いのでしょうし、
そのどちらかは、
自分の為に使う方が、
無理無く、現実的ではある事でしょう・・・・・!!
また、
解像度って概念がありますが・・・・・、
それは、
文章、映像、絵、音声、音源・・・・・、
あらゆる媒体に絡んでくる概念ではあるけど、
個人的に言えば、
解像度は高める事が重要ではあるけど、
高めた上での適当性ってものが、
自由度を発揮する為には必要だし、
解像度を高めて行くだけだと、
「なんだか、ハゲそう・・・・。」なくらい、
神経を擦り減らし、消耗して行くことになるので、
「コレは明らかに、チガウ。」って事が、
腑に落ちると思います・・・・・(苦笑)。
だからこその、
解像度を高めた上での、
適当性って事ではありますね。
最初から適当だと、
そうは行かないだろうし、
そもそもとして、
スキルのレベルってものも、
適当=ショボいレベルに見えるもの(あるいは聞こえるもの)でしょうね。
ま、
解像度を高めた上での、
適当性ってものを、
最適って表現するんだろうけれども。
また、
何事も、手軽に抽象度高く始めるのが、
鉄則ではあるけれども、
それは所謂・・・、
活動自体のものでもあり、
ビジネス的は商品やサービスってものは、
小さい方が売り易くもあり、
商品やサービス自体は、小さくても良いけど、
活動自体は別物でもあり、
それを理念とか、想いって言うのだろうし、
・・・・て事は、
「自分を売り物にはしない。」って事が、
鉄則ではあるのでしょう。
売り物は、サービスや商品であり、
自分よりも小さいイメージでしょうか。
一つ一つは小さくとも、
複合され、数が多くなって、
大きく見える事もあるのでしょうが。
まとめとしては・・・・・、
自己満足を手放して、
納得を勝ち取るとは言いますが・・・・、
結局、
自己満足から始めて行かないと、
こんなブログとか、他のSNS等、情報発信ってものは、
到底、続いて行くもんじゃあ無いものと、
個人的には思う次第ではありますね。
自己満足=在りたい自分を出した上での、
価値観の提供とか、同じような境遇の人の共感とかの話でもあり、
自己満足から始めないと、
土台が無いし、
逆に、
キッパリとやめる理由が見つかると、
10年続いた今でも思うし、
納得ってものも、
自己満足の割合によって出来上がっているだろうし、
要は、
100%の自己満足を手放すってイメージでしょうか。
でも、
土台は自己満足だと。
また、
創造する事や、
新たな取り組みに取り掛かる事によって、
初めて、
直前に取り掛かっていた段取りに、
終止符が打たれるものではあります。
即ち、
新たな取り組みを進めて行かない事には、
思考が、前回の反省点とか、
修正点に捉われガチだと。
ちゃんと締め切りを決めていても、
自動的にそうなりガチだろうから、
次のスタートをすぐに切って、
終わらせる事が重要とはなる事でしょう・・・・・!!
インド哲学的な、破壊と創造のプロセスで言えば、
終わらせる=破壊なのでしょう。
即ち、
一人からでも始める=一人からでも終わらせて、
その後で、
人にスタートをシェアする感じとはなります。
それは、
一々、
何かを始める前に、
何か破壊する必要は無いって事でもあります。
始めれば、
明らかに、終わるものがあるからなのです。
それが破壊って事でもあるし、
要は、
自分の古いフォーカスを破壊するって事だからこそ、
その前に、
ある程度の自己満足感を確保しておかないと、
後悔の元にはなるけど、
その後悔を終わらせるのもまた、
それに関連したスタートを切るって事ではあるのでしょう・・・・・!!
また、
ストーリーとして共有するって事は、
確かに、
人に被せ易い側面があるけれども、
結構、
罠的な役割に終始しガチでもある事でしょう・・・・・。
だからこそ、
ネガティヴ要素こそ、
ストーリー化して、共有する事が重要ではあるでしょうし、
大抵の、綺麗事だけの、
良い事のストーリー化ってものは、
その奥に存在する、
ネガティブ要素を被せる為の罠になっている
・・・・・という見解も必要にはなってくるでしょうね。
それらを踏まえて、
実は、
過去に掘り下げておいた記事は、下記から・・・・・。
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