起承転結の意味と、結論を出すといふこと。 | キンジの自分軸哲学

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どもども。

 

キンジです。

 

 

物事には、起承転結ってものが、

存在します。

 

 

・・・・・・・いや、

存在しますと言うよりかは・・・・・・・、

 

客観的な視点に立って物事を考察して行きますと、

そこには、

 

起承転結ってものが、

 

元々存在していたかのように、

出来上がって行くものである・・・・・・・とも、

言えるものではある事でしょう。

 

 

 

即ち、

そこに、

 

一区切りの、結末でもあり、

結論が存在していれば、

必ず、

 

その結末でもあり、結論を踏まえた上での、

起・承・転・結ってものが見えてくるものでもあるでしょうし、

 

逆に言えば、

そこに、

 

結末でもあり、結論が存在しなければ、

決めてしまわなかったとしたら、

そこには、

 

起承転結ってものが、

見えてこないだろうし、

そもそもとして、

 

それだと、

 

色んな要素が、渾然としたままにも見え、

グチャグチャな、

カオスな塊に、見えてしまう事でしょう・・・・・・。

 

 

 

だからこそ、

我々、

 

コンテンツを創造する側としては、

そこには、

 

結末でもあり、結論ってものを、

決めてかかったとしても、

決定して行く必要性があるのです。

 

 

 

何故ならば、

そうやって、

 

結末でもあり、結論を、

決定する事によって、

そこに、

 

起承転結が出来上がる余地を創造する事によって、

 

客観的な視点から見ても、

 

その起承転結を、

把握してもらう為だと、

言える事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

 

要するに、

 

結末でもあり、結論ってものは、

実は、

 

理解でもあり、把握する為には、

さほど、重要な要素では無いって事なのでしょう。

 

 

 

 

まぁ、

それでも、

 

そこそこの、重要なファクターではある事でしょうが・・・・・・・、

 

その、結末や結論よりも、

重要でもあり、大切な要素となりうるのが、

 

起承転結って事なのですし、

 

その起承転結を辿る、

もしくは、

再現する事によって、

 

同じ理解に辿り着くって言うのが、

まぁ、

 

基本のスタンスとも言えますが・・・・・・、

 

逆に言えば、

 

同じ起承転結を、

辿らなかった場合においては、

 

その理解ってものもまた、

違う見解となって行くものではありますね・・・・・・・??

 

 

 

だからこそ、

 

最初に決定づける結末や結論ってものは、

ある種の、

 

適当さがあって良いものとも言えるでしょうが・・・・・・・、

 

だからとは言っても、

そこに、

 

その結末や、結論だと、

コミット出来得るナニカが存在しない事には、

 

それを最初から、

 

結末とか、結論だと、

宣言する事自体が難しくもあり、

 

そもそもとして、

 

「ただの嘘つき。」の在り方を、

体現してしまうもんでもありますね・・・・・・??

 

 

 

だからこそ、

 

その結末でもあり、結論において、

 

必要となるファクターってものがあるとすれば・・・・・・・・、

 

それは、

 

「在りたい自分。」ってものに、

当てはまってくるものなのでしょう・・・・・・・!!

 

 

 

その、

 

「在りたい自分。」ってものは、

即ち、

 

過去の結末や、結論の、

集大成でもあるだろうし、

 

自分自身の、過去の結末や、結論を踏まえた上で、

 

全く納得を得る事が難しかった結末や、

結果はど〜あれ、納得を得る事が出来た結末ってものが、

 

その物事の大小は横においておいたとして、

誰しもに、存在するでしょうから、

 

それらを考慮し、

 

過去を掘り下げて、考察していけば、

 

誰しもに、

 

「在りたい自分。」ってものが、

存在する事にはなります。

 

 

 

 

・・・・・・・まぁ、

これは勿論、

 

良い結果、悪い結果ってものは、

考慮しない視点でもありますし、

 

結果ど〜こ〜ってものは、

 

現実的に行動を起こせば、

そこには、

必ず、結果ってものが出来上がるものではありますから、

 

それよりも、

 

自分自身のスタンス的結果とか、

その結果の在り方ってものを、

考慮する事が、

 

望ましいものとはなる事でしょう。

 

 

 

それを踏まえた上で、

また改めて、

 

起承転結を、創造して行くのです。

 

 

 

これはある種の、

保険的考えかも知れませんが、

 

その結末でもあり、結論を踏まえた上での、

新たな起承転結ってものには、

少なくとも、

 

最悪の事態を、回避出来得るだけの、

ガイドライン=前回の起承転結ってものが、

含まれてくるものとはなる事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

それは、

別に、

 

同じ起承転結を、繰り返す必要性なんて無いものではありますし、

 

人間、

起承転結で言えば、

 

同じ事ばかりを、続けていけるもんじゃあ無いだろうし、

 

そこには、

必ず、

 

「飽き。」ってものが出てくるものではある事でしょう。

 

 

 

だからこそ、

 

それでも繰り返す必要性が存在する、

 

ビジネス的な活動や、仕事の段取りにおいて、

 

結末や結論を、操作するんじゃあ無くて、

 

起承転結と言ったような・・・・・・、

 

プロセスの方を、アレンジするって事が、

 

それを実際に行って行く人達にとっては、

在り方を整えて行く術とはなる事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

まぁ、

 

最悪、前回の起承転結を、

なぞる事にはなるでしょうが・・・・・・・・、

 

それでも、

 

前回と同じような、

結末や結論ってものは、

ある意味、

 

約束されているものとも言えるだろうし、

 

それもそれで、

 

そこだけ、その環境だけ、その場の自分だけの想いによって、

やり切るってこともまた、

 

可能にはなっている事でしょうし、

 

そこで得た、

新たな気付きでもあり、

 

新たなアレンジ的可能性が存在していた場合は、

 

それを活用出来得る活動を、

新たに、用意していけば良いものとはなる事でしょう・・・・・・!!

 

 

 

 

即ち、

 

その新たな活動ってものは、

 

起承転結から始めるものとも言えるでしょうし、

 

結末や結論が解らないものとはなる事でしょうが・・・・・・・、

 

だからが故に、

 

今まで、チャレンジした事が無い分野でこそ、

 

その、

 

起承転結から始めるスタンスが、

マッチするとも言えるものではありますね・・・・・・・??

 

 

 

そうやってチャレンジする事によって、

また少なくとも、

 

先行者や、その分野においての、

 

先生とは、

また違った見解には至るかも知れませんが・・・・・・、

 

自分でこそ、自分ならではの、

オリジナリティを発揮した、

 

ユニーク性が存在するものが、

出来上がることはなる事でしょうし・・・・・・、

 

その先行者や、先生の結末や結論に、

近づけたければ、

 

軌道修正すれば良いものともなるでしょうから。

 

 

 

まぁ、

 

そのオリジナリティってものは、

結局は、

 

「自分自身の納得を得る。」って事に、

特化された、

起承転結とはなるでしょうから、

 

結果的には、

 

その先行者や、先生の邪魔者になる訳じゃあ無くて、

「満足度が高い。」と言う意味での、

 

win=winの関係性には落ち着くものとはなる事でしょうが・・・・・・・・、

 

まぁ、

 

そのwin=winの為に必要となるのが、

悪魔的プロセスとも言えるだろうし(苦笑)、

 

決して、

 

その先行者や、先生との関係性は、

 

その教えの、完全コピーを目指す道とは、

ならないものではある事でしょう・・・・・・。

 

 

 

 

即ち、

 

学校的な教師、生徒の理想型とはならないでしょうが・・・・・・、

まぁ、

 

学校的な教師、生徒の理想型ってものもまた、

 

その優秀な教師をコピーするって事では無く、

 

その優秀な教師の理念を、

自分自身にも取り入れるって事でもあり、

 

結果的には、

 

同じような構造でもあり、

同じような環境を、

自分用として構築して行き、

 

尚且つ、

 

その理念を、在り方として、

体現して行くって事でもあるのでしょう・・・・・・!!

 

 

 

それには、

結局は、

 

起承転結を創造する事に、

長ける必要性が出てくるとも言えますし、

まぁ、

 

その起承転結を創造するって事もまた、

 

細かいアレンジが出来るようになる事によって、

軌道修正が可能になる・・・・・・・って事でもあり、

 

また、

 

その起承転結の、肝となる概念でもあり、構造ってものを、

死守出来得る環境を整える事でもあり、

 

それは結局は、

 

自分自身の在り方の一部とする・・・・・・って事でもあるのです・・・・・・・!!

 

 

 

 

即ち、

 

勝手知ったる、起承転結ってものを、

持っていれば、

 

そのアレンジ次第によって、

あらゆる方向性に、展開する事が可能になる・・・・・・・って事ですね。

 

 

 

 

その起承転結ってものは、

要するに、

 

ひとまとまりの、

1と定義付ける事も可能ではあります。

 

 

 

その、

ひとまとまりの1から繋がる、

 

2でもあり、3でもあり、4ってものには、

 

無限の方向性が存在するかも知れませんが・・・・・・・、

 

それをコントロールするのは、

 

そのひとまとまりの1からなのです。

 

 

 

・・・・・・・し、

 

そのひとまとまりの1から、

「自分自身がしっくりくる。」

 

「なんかしっくりこない。」と言ったような、

 

自分自身の納得度の、

未来予測が可能にもなるものではありますし、

 

それを度外視した上では、

 

未来視点ってものに、

価値ってものが存在しない事でしょう。

 

 

 

 

必要最低限の、満足度を確保出来得るからこその、

自分自身の納得感なのです。

 

 

 

何処の誰かも判らないような、

 

もしくは、

 

生きている人間の思いかも判らないようなものに、

翻弄された方向性で、

 

満足度を必要最低限、

確保でき得る保証なんて、

何処にも存在しない事でしょう。

 

 

 

だからこそ、

 

必要最低限の満足度を先取りし、

 

その上で、

 

さらに上を目指すのも良いだろうし、

逆に、

 

満足度が高すぎる場合においては、

 

その満足度を、下げるって事もまた、

セルフマネジメント的に、必須にはなってくるものでしょうね・・・・・・・。

 

 

 

満足度を上げるってことは、

誰しもが、

 

追求し易い道筋なのかも知れませんが・・・・・・、

 

満足度を下げるってことには、

注意が必要なものではあることでしょう。

 

 

 

何故ならば、

 

変に下げることによって、

 

ツキを失うことにも成りかねないし、

 

それは、

結局は、

 

その満足度が高まる原因ともなった人を、

ガッカリさせたり、失望させる事だとも、

言えることでしょう・・・・・・・。

 

 

 

そのような人を、

 

ガッカリさせたり、失望させるって行為自体が、

 

自分自身の、セルフイメージを、

損なう行為になると同時に、

 

自分自身の未来視点に、

 

影を落とす行為ともなってしまうことでしょう・・・・・・。

 

 

 

だからこそ、

 

満足度を下げるって事自体が、

大事な要素であると同時に・・・・・・・、

 

自分自身の納得と共に進むって事が、

 

どんな結末や、結論に至っても、

 

「自分自身を見捨て無い。」為には、

必要不可欠なものとはなるだろうし・・・・・・・、

 

最悪、

 

大事な人をガッカリさせたり、失望させたとしても、

 

自身の納得と共にあれば、

 

それを挽回する事も可能だろうし、

 

そもそもとして、

 

その大事な人の、

隠された、

 

見たくなかった本音ってものが、

 

具現化された事によって、

 

問題化される事によって、

問題を解決でき得る場合もあるだろうし、

 

逆に、

 

解決出来ない問題の場合は、

 

各々の、在りたい在り方に沿った、

距離感を持った関係性が出来上がるものとも言えますね・・・・・・??

 

 

 

別に、

誰しも、

 

子供の頃ならともかくとしても・・・・・・・・、

 

大人になって、

「在りたい自分。」ってものが、

明確であるにも関わらずに、

 

意味も無く、

 

「仲良しこよし。」ってものが、

ベストとは思ってはいないでしょう・・・・・・・・??(苦笑)

 

 

 

少なくとも、

僕自身は、

 

「在りたい自分。」ってものが存在した上で、

そこからのメリットありきでの関係性ってものだけ、

 

存在していれば良いと思っていますし、

 

それでこそ、

自発的に、

 

コミュニケーションを取っていけるもんでもありますし、

 

逆に、

 

「好きで黙っている。」って状態でも、

自分自身の納得を得る事が可能であり、

 

割と楽しく、充実しております(笑)。

 

 

 

まぁ、

最悪、

 

ビジネスとか、仕事で必要な関係性に、

 

あまり、

 

相性が良く無い人が存在していたとしても、

 

大人ですから、

 

「そこだけ、その環境だけ、その場の自分だけ。」の思いの元に、

 

フラットに、機能的に、

 

コミュニケーションを取る事も、

可能ではありますが。

 

 

 

まぁ、

それでもやっぱり・・・・・・・、

 

自分自身の、優先度が高い物事ってものは、

自分自身の、趣味趣向に沿った物事で在りたいだろうし、

 

そのように、

構造化する事でしょう・・・・・・!!

 

 

 

・・・・・・・し、

 

隙があれば、

 

そのフラットに、機能的に、

コミュニケーションを取る相手にも、

 

自分自身の趣味趣向を、組み込んで行くのは、

悪い癖でもあるだろうし・・・・・・・(苦笑)、

 

だからこそ、

結果的に、

 

相性の悪さってものもまた、

際立つ場面がある・・・・・って事なのでしょうね。

 

 

 

まぁ、

結果的に、

 

自分でこそ、自分ならではってものを、

表現するって事自体が、

 

フラットに、機能的に、

 

能率的に、物事を進めて行くって行為そのものともなるでしょうから、

 

逆にそれこそ、

 

短いやり取りばかりを、

繰り返すような関係性じゃあ無いと、

中々・・・・・・、

 

機械的な、無機質な、フラットさってものは、

出ない事でしょうが・・・・・・、

この続きはまた、その内。

 

 

 

それらを踏まえて、

実は、

 

過去に掘り下げておいた記事は、下記から・・・・・・・・。

 

 

 

 

続きはこちら

 

 

 

 

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