本日は11月30日。自殺未遂からちょうど10日目です。この10日間は希死念慮との戦いでした。
幸いなことに今現在こうして生きています。生かされています。だか
らブログが更新出来ます。
さっきビデオの傑作推理ドラマでガス自殺の場面を見てしまいました。
そしたら早速、ガス自殺なら楽に死ねるのかな・・・。などと考えている自分がいました。
「今日だけは生きる」そうは決めたはずなのに、その決心がもう揺らいでいます。
情けないと言うかなんと言ったら良いか分かりませんが、見ることやることすべてが自殺に結びついてしまいます・・・。
ところで、自殺願望と希死念慮って何か違いがあるのでしょうか?変なことが気になったので調べてみました。
希死念慮とは
死にたいと願うこと。
[補説]自殺願望と同義ともされるが、疾病や人間関係などの解決しがたい問題から逃れるために死を選択しようとする状態を「自殺願望」、具体的な理由はないが漠然と死を願う状態を「希死念慮」と使い分けることがある。
微妙ですが自殺願望と希死念慮とは違うみたいですね。
私の場合はどちらなのかを考えてみました。
得たい知れない不安感・焦燥感・恐怖感から死を選ぶことを考えてしまうので、希死念慮と言うのが正しいのかもしれません。
しかし、元々は上司のパワハラが原因だったので、これは自殺願望だと言えると思います。
どちらにしても生きていたくない。死にたいと思っていることには変わりがありませんが・・・。
話は少し変わりますが、本日も胸痛・息苦しさ・動悸が止まりませんでした。
朝は8時前に起きて、洗濯物を干したのですが、その後に動悸と息苦しさがどっと襲って来ました。
昨日の予定では、気分転換のためにブックオフでも行って仏教の本を探して来よかな。などと思っていたのですが、とてもそんな状態ではありませんでした。
早速いつものように眠剤を入れて「寝逃げ」してしまいました。眠剤を飲んで数時間寝ると少しだけ希死念慮・自殺願望が小さくなります。
精神安定剤の効果でしょうか。
このブログを書いているのが午後5時15分です。昨日はシャワーを浴びられなかったので、さっシャワーを浴びてきました。
ですから、キレイな体でこのブログを書いています。
今日、一つ心配ごとを解決しました。それは通院の関係です。
12月20日付けで退職するので、それまでは社会保険を使えますが、それ以降は就職先が見つかるまで国民健康保険になります。
12月17日に動脈解離のエコー検査が入っています。これは社会保険を使えるので良いのですが
25日に心療内科の受診予定が入っていました。
21日に国民健康保険の手続きをしたとしても25日に間に合うかどうか分かりません。むしろ間に合わない可能性の方が高いと思います。
ということは、10割負担になってしまいます。もちろん、後で申請すれば7割は戻って来るでしょうが、手続きが面倒です。
そこで、心療内科に電話をして受診日を14日に変更してもらいました。これなら社会保険で受診出来ます。
薬局の方も大丈夫です。少しだけ心配ごとが減りました。
こうして、出来ることを少しづつやっていけば希死念慮・自殺願望は無くなって行くのでしょうか?
このブログを書きながらも、色々と考えごとをしているのですが、考えてもどうにもならないことを考えている場合が凄く多いです。
例えば、今度面接を受ける施設の内定を取れなかったらどうしょう・・・。
とか、その面接の前に転職エージェントさんから面接対策の連絡が明日来ることになっているのですが、その時に何を言われるんだろう・・・。とかです。
そんなことを今から考えていても仕方ないことは頭では重々承知しています。そんな心配は時間の無駄だと分かっています。
しかし、分かっていても止められないから困っているのです。
そして心配ごとがさらに心配ごとを呼び、ネガティブ思考一色になった結果として死にたくなる。
希死念慮・自殺願望に陥るパターンですね。
少しだけ仏教の話をすると、四苦八苦がありますね。
四苦とは
○生きること(生まれること)
○老いること
○病になること
○死ぬこと
ですね。
この「苦」を苦しみと解釈すると、とてつもない虚無感に襲われます。だって生きることが苦しみだと言われたらどうしたら良いのでしょうか?
生きることが苦しみであるならば、最初から生まれてこない方が良かったのか。そう思ってしまいます。
しかし、この「苦」は「苦しみ」ではなく「思うようにならないこと」、「思い通りにならないこと」と訳すのが正しいようです。
これだと頷けます。
確かに生きること、生まれることは思うようにはいきません。
(もっとも生まれることは自分で選択してくるというスピリチュアルな考え方もあります)これを私は否定しません。否定どころか肯定したいと思います。
それはひとまず置いておいて、生きること自体が思うようにならないのに、それを思い通りにしようとするからそこに苦しみが生まれるのかもしれません。
老いること、病になること、死ぬこともすべてそうですね。老いたくないと思っても老いてしまうし、病気になりたくてなる人はいません。
ただ死ぬことだけは自分で出来る可能性がありますね。それが自殺です。
死にたくないと思っても永遠に生き続けることは出来ません。しかし、自ら命を絶つことは出来ます。
それが正しいとか正しくないとかの問題ではありません。
思うようにならない四苦の中で唯一、自分の思い通りに出来ること、それが死ぬこと。自殺すること。
だったら自殺を選んでも良いのではないか。そう考えてしまいます。
前回のブログに自殺すると自ら課題を放り出してしまうことになるので、自殺すると次の人生で同じか又はもっと難しい課題が與られると書きました。
確かにそうかもしれません。と言うか、私はその通りだと信じています。だから自殺することは一時しのぎにしかならないと。
しかし、たとえ一時しのぎでも良いから楽になりたい。たった今この瞬間に楽になりたい。後の事なと考える余裕なんてない。
自殺する方は、皆そう思ってしまうのではないでしようか。
私の今現在の正直な心境がこれです。
毎日が生きよう、いやもう限界だ。自殺したら次の課題がさらに難しくなる。いやそれでも良い。今はそんなこと言ってられない、一時も早く楽になりたい。
希死念慮・自殺願望との戦いです。
無事に就職先が決まれば、この戦いは終わるのでしょうか?
一時はこの戦いから離れることができるかもしれません。しかし、根本的なことを解決しないとまた、同じことの繰り返しになる気がします。
その根本的な問題とは何か。それが自分でもよく分からないのですが・・・。分からないから対処のしようがない。
対処方法が分からないから不安感・恐怖感に襲われる。そんなのかもしれません。
この瞬間根本的な問題を解決出来るのが仏教の教えだと思っています。私は仏教についてはまったくのど素人です。
ですから、仏教が本当に生きる根本的な問題を解決してくれる教えなのか正直なところ分かりません。
しかし、今藁をも掴む思いで仏教にすがりたいと思っています。
それしか、今の私には希死念慮・自殺願望との戦いに使える武器がないからです。
それでは、本日も最後までお読み頂きありがとうございました。明日も生きていれば更新したいと思います。