★幸せの定義とは
幸せとは何かをあらためて考えてみました。
ウィキピデアで調べてみると
「幸福とは、心が満ち足りていること。幸せとも。人間は古来より幸福になるための方法に深い関心を寄せてきた。
幸福についての考察や、幸福であるためにはどのような生き方をすべきであるか、その方法論を提示した文章・書物は、「幸福論」と呼ばれている。
幸福を倫理の最高目的と考え、行為の基準を幸福におく説を幸福主義という。」
と書かれていました。
難しく書かれていますが、要は初めの書き出し部分「心が満ち足りていること」ということですね。
ここでまた、疑問が生じて来ました。「満ち足りている」とはどういう状態なのでしょうか?
調べてみると、「満ち足りている」の類義語として以下の言葉が見つかりました。
充実感や達成感、充足感が「満ち足りている」状態であることは理解出来ます。
しかし、充実感や達成感、充足感は永遠に続くでしょうか?
確かに何かを成し遂げた時には、充実感や達成感、充足感を得られるでしょう。
でも、心が満ち足りているているのは、その間だけで、直ぐに次の欲望がわいて来て、充実感や達成感、充足感はなくなるのではないでしょうか。
そんな一瞬で終わるものが果たして本当の幸せなのでしょうか?
★物が対象の幸せは一瞬だけ
お金や地位などを得ると幸せを感じられると思います。
私のように、お金に苦労している身からすると、宝くじでも当たったら幸せになれるのに。
なんて考えてしまう時があります。
確かに、宝くじが当たったて、生活の不安がなくなったり、働く必要がなくなれば幸せになれそうです。
しかし、その幸せも長続きはしないのかもしれません。
お金は1億円手に入れば、次には2億円が欲しくなる。そうなものだと思います。
地位も同じことですね。課長になれば、次には部長になりたい。取締役になりたい。と欲望がどんどん膨らんでいきます。
そんなものが幸せとは言えません。
では、あらためて、幸せとはなんなのでしょうか?
よく結婚式で「幸せになります」とか「幸せにします」と言いますが
この言葉には違和感を感じます。
幸せとは「なる」とか「する」ものなのでしょうか?どうも違うと思うのですが・・・。
幸せとは「なる」とか「する」ものではく「感じる」ものだと思うのです。
そして、幸せとは結局、感謝が出来る状態。そうも考えました。
過去のブログで、幸せ=感謝が出来る状態と結論づけたことがありました。
その時は、それが正解だと思っていたのですが、少し考えが変わって来ました。
確かに感謝が出来る状態は幸せではあります。
しかし、感謝が出来る状態が永遠に継続出来るならば良いのですが、どうもそうはいかないようです。
ならば、永遠に続くことが出来る状態こそが、幸せと言えるのではないかと思い始めたのです。
では、永遠に続くことが出来る状態とはなんなのでしょうか?
それは、物事に一喜一憂しない状態。悪いことが起きても嘆かずに、良いことが起こってもよろこばず平常心でいられる状態。
元々、起きてくる出来事に良い悪いはありません。
ただ自分で出来事に対して、良い悪いのジャッジをしているだけ。
柳の木や竹のように、風に逆らわず、北風が吹いたら南に傾く。東風が吹いたら西に傾く。
どんな嵐や台風でも折れることなく立ち続ける。
そんな状態が本当の幸せではないか。そんな結論に達しました。
柳の木も竹も根をしっかりと張っているからこそ、立ち続けることが可能なのですね。
どうやら、幸せを感じる為には、人生にしっかりと根を張らないとならないようです。
若い頃に人生の根を張れた人は幸せだと思います。
しかし、私のように50代の後半になってからでも、人生に根を張ることは不可能ではないと思うのです。
つまり、幸せを感じるのに遅いということはないことになります。
人生すべてに言えることですが、何かを始めることに遅いということはないと思うのです。
何歳からでも思い立ったが始めどき。思い立ったが吉日です。
私も今から根を張り、幸せを感じたいと思っています。
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