剣の形代(つるぎのかたしろ) 214/239 | いささめ

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 源頼家が正式に征夷大将軍に就任したのは建仁二(一二〇二)年七月三日のことである。この日、源頼家を従二位に昇叙させたと同時に征夷大将軍に任命することが決まった。なお、左衛門督との兼任である。

 と同時に、征夷大将軍の位階相当が変わった。前任の源頼朝が正二位で征夷大将軍に就任したのに続き、源頼家が従二位で征夷大将軍に就任したことで、征夷大将軍の位階相当が従二位以上に引き上げられたのだ。

 それにしてもなぜ朝廷は、そして後鳥羽上皇は、このタイミングで源頼家を征夷大将軍に任命したのか?

 逆説的ではあるが、源頼家を昇叙させると同時に征夷大将軍に任命することで、鎌倉幕府の永続性を細めることを意図したのである。

 源頼朝が征夷大将軍の役職を求めたのは、朝廷のシビリアンコントロールから離れて独自の行動をとる合法的根拠を求めたと同時に、従四位下が位階相当である征夷大将軍であれば、源頼朝の後継者となる人物の位階が低くても征夷大将軍を相続できると考えたからである。それなりの権勢を手にしている貴族であれば、自分の子や弟といった後継者を従四位下にまで引き上げることは可能だ。源頼朝自身や源頼朝の後継者の身に何か起こったとしても、その後を継ぐ者が従四位下にまで昇叙していれば征夷大将軍に就くことで鎌倉幕府を継承できると考えたのである。

 ところが、源頼家が従二位に昇叙した上で征夷大将軍となった。これにより、征夷大将軍の位階相当が従四位下から従二位に引き上げられてしまった。源頼家は数えで二一歳、満年齢では二十歳の若者だ。この時点の源頼家に息子がいるにはいるが、考えていただきたい。現在の学齢でいうところの二十歳の若者の子が何歳であるか?

 どう考えても従二位にまで昇叙しているわけがない。

 それ以前に、貴族としてのデビューすら果たしていない。

 

 

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