剣の形代(つるぎのかたしろ) 149/239 | いささめ

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 源頼家の起こした行動の前に、このときに選抜された一三名について記しておく必要がある。

 一三名を吾妻鏡の順番に記すと以下の通りとなる。

 北条時政、伊豆国守護兼駿河国守護、六二歳。源頼朝の岳父にして源頼家の祖父。

 江間義時、源頼朝の家子筆頭。三七歳。源頼朝の義弟にして源頼家の叔父。

 中原広元、政所別当。五二歳。

 三善康信、問注所執事。六〇歳。

 中原親能、京都守護。五七歳。源頼朝の流人時代からの知友。中原広元の義兄。京都守護として在京中。

 三浦義澄、相模国守護。七三歳。源義朝の代から仕え続けている源家累代の家人。相模国最大の豪族である三浦一族のトップ。

 八田知家、常陸国守護。生年未詳。源頼朝の乳母である寒河尼とはきょうだい。姉と弟か、兄と妹かは不明。常陸国の大豪族。

 和田義盛、侍所所司。五十三歳。相模国三浦一族の一員で元々は侍所別当であったが、和田義盛の親族に不幸があったときに梶原景時が別当代行を務めることになった隙に別当の地位を奪われ、侍所の二番目である侍所所司となっている。

 比企能員、信濃国守護兼上野国守護。生年未詳。源頼朝の乳母の比企尼の甥で、源頼家の乳母夫。娘若狭局が源頼家の妻であることから源頼家の外戚でもある。ただし、若狭局を源頼家の正妻とする記録と、源頼家の側室の一人であるとの記録とがあることには注意が必要である。

 安達盛長、三河国守護。六五歳。源頼朝の乳母である比企尼の女婿。

 足立遠元、政所寄人。生年未詳。源義朝の代から仕え続けている源家累代の家人。なお、生年不詳であるものの、前述の安達盛長の甥でありながら安達盛長よりも一〇歳以上年齢が上であることは確実のためこの時点で七〇歳を超えているはずである。

 梶原景時、侍所別当兼播磨国守護兼美作国守護。生年未詳。源頼朝側近。愚管抄によると源頼家の乳母夫であるとされる。

 二階堂行政、政所令。生年未詳。源頼朝の母の叔母の子。政所令とは政所の副官である。

 いちおう、一三名中九名が武士、四名が文人官僚であるが、武士とカウントされている足立遠元はすでに問注所の寄人、現在でいう裁判官や検事にあたる役職を勤めており、鎌倉幕府における文人官僚の一人とも言える。また、他の四名が文人官僚であると言っても鎌倉幕府の御家人であることに違いはなく、各人がそれぞれ所領を保有している。例えば三善康信は地頭として備後国太田荘だけで六一三町という広大な所領を保有しており、他の三名について最低でも五〇〇町を上まわる所領を保有していたことが確認できる。それは中央の貴族としてもともと所有していた荘園ではなく、鎌倉幕府に仕え、鎌倉幕府の一員として功績を果たしたことを源頼朝が評価し、その褒賞として与えられたものである。武器を手に戦場を駆け巡ることもなく文人として安全なところにいたと貶す者はいたかもしれないが、この四名の鎌倉幕府における功績を考えると、四名とも、一三名の中に選ばれても誰も文句を言えないものがある。

 

 

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