剣の形代(つるぎのかたしろ) 123/239 | いささめ

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 同日、後鳥羽天皇が退位して為仁親王に帝位を譲ったのである。土御門天皇の治世のスタートであり、後鳥羽院の院政のスタートの瞬間でもあった。

 土御門天皇はまだ三歳であるため、天皇としての政務を執ることは期待できず摂政が必要となる。土御門天皇の治世のスタートに合わせて関白近衛基通は関白を一旦辞任し、改めて土御門天皇の摂政に任命された。摂政にしろ、関白にしろ、自動的に就任できる役職ではなく天皇によってその都度任命される役職であるという建前は変わることない。

 そして注意すべきは、摂政近衛基通が土御門天皇の祖父ではないという点である。養女であるとはいえ、土御門天皇の母は権大納言土御門通親こと源通親である。にもかかわらず、摂政に就任したのは父が帝位にあった頃の関白であった近衛基通である。源通親はこの時代の人達から「源博陸」、すなわち、関白と同等の有力源氏という渾名を受けることになったが、あくまでも同等であって朝廷の職掌上、土御門通親が藤原摂関家の上に立つことはなかった。土御門通親は既に後鳥羽院の院司であることは決まっており、院政における実権確保という点では藤原摂関家の上に立つことができたが、さらにその上に後鳥羽院がいるという構図が完成したのである。

 ちなみに、このときの土御門天皇の即位のときに、表立った問題とはならなかったものの、一歩間違えれば大問題となること間違いなしのことをしでかした人物がいる。藤原定家がその人で、「光仁の例によるなら弓削法皇は誰なのか」と批難している。弓削法皇とは奈良時代の道鏡のことで、今回の土御門天皇の即位に至るまでの経緯を先例と比較し、九条兼実を道鏡と扱っていると日記に書き記している。もし外部に流出したら流罪を喰らっていたであろう。

 なお、現在からすると大問題となるが、このときは問題となっていなかったことが一つある。三種の神器が揃っていないことである。三種の神器の一つである天叢雲剣あまのむらくものつるぎは壇ノ浦に沈んだままであり京都にはない。ただし、皇室で保管している天叢雲剣あまのむらくものつるぎ形代かたしろであり、天叢雲剣あまのむらくものつるぎの現物は熱田神宮に存在する。そして熱田神宮からは、熱田神宮の宮司の血を引く源頼朝が新たな天叢雲剣あまのむらくものつるぎ形代かたしろであり、源頼朝が就任している征夷大将軍がこれからの天叢雲剣あまのむらくものつるぎであると宣言されているので、壇ノ浦から引き上げることに成功した八咫鏡やたのかがみ八尺瓊勾玉やさかにのまがたまと合わせることで、三種の神器は揃っているという体裁が成立する、ということになっている。

 

 

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