剣の形代(つるぎのかたしろ) 117/239 | いささめ

いささめ

歴史小説&解説マンガ

 しかし、建久八(一一九七)年九月一〇日、藤原範季の娘の藤原重子が後鳥羽天皇の皇子を産んだことで、藤原範季は土御門通親に続いて後鳥羽天皇の皇子の祖父となった。

 これで話はややこしくなった。藤原範季は藤原氏であるが藤原北家の人物ではなく藤原南家の人物である。もともとは後白河法皇に仕える蔵人であり、平治の乱の後は各地の国司を歴任する身になっていた。ここまではまだいい。

 この人のキャリアには三つ問題があった。

 一つは平治の乱の後で源範頼を引き取って養育するようになったこと。

 二つ目は安元元(一一七五)年から治承二(一一七八)年まで陸奥守兼鎮守府将軍として奥州藤原氏第三代当主藤原秀衡の協力者であったこと。

 三つ目は文治二(一一八六)年に源義経を匿ったことを理由に解官となり、建久八(一一九七)年時点で位階はあるものの官職を有していなかったこと。

 源頼朝にとっては三重の意味で厄介なキャリアを築いてきた人間ということになるが、後鳥羽天皇にとっては有能な貴族が官職を得ることなく不遇の日々を過ごしているということになり、無官であるがために後鳥羽天皇の周囲に置くに最良の人材ということになる。従来であれば大江氏もしくは菅原氏でなければ就任できない天皇の教育係である侍読じとうに就任したのも、藤原範季の学問的素養において申し分なかったことに加え、他の官職に就いていないために侍読じとうに任じることに何ら支障がなかったという事情があった。

 侍読じとうを務める貴族の娘がその時代の天皇と関係を持って子を産むこと珍しくなく、後鳥羽天皇はその珍しくないことを起こした。藤原範季は藤原南家の人間であり藤原北家の人間ではないが、侍読じとうを務める貴族の娘となれば天皇の母の血筋として申し分ない。それこそ、仮に源頼朝の娘を入内させることに成功し、その娘が後鳥羽天皇との間に男児を産んだとしても、その男児が皇位継承をするのは困難になるというレベルの話だ。

 

 

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
にほんブログ村