剣の形代(つるぎのかたしろ) 36/239 | いささめ

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 さて、この曾我兄弟の仇討ち事件については工藤祐経への殺害を主としたものではなく、源頼朝の暗殺を狙った犯行であるとの説もある。

 二一世紀に生きる我々は鎌倉幕府のことを一世紀半に亘って存続する組織と知っているが、源頼朝が征夷大将軍に就任してから一年ほどしか迎えていないこの段階の鎌倉幕府という組織、いや、治承四(一一八〇)年に源頼朝が挙兵してから一三年を数えたこの段階においても、鎌倉方という組織そのものは源頼朝という一個人に仕えて行動する武士達という構造になっている。

 ここで源頼朝がいなくなるとどうなるか?

 源頼朝は既に自分の後継者として息子の万寿、後の源頼家を指名している。ここで源頼朝の身に何かあったとしても、後継者として源頼家がトップに立つことで組織そのものが存続することは判明している。ただし、源頼家に源頼朝と同じだけのトップとしての能力発揮を期待することはできない。この時点でまだ一二歳であり、未だ元服を迎えていない源頼家に父と同じだけのリーダーシップを期待するのは難しいのだ。もしかしたら父と同じ、あるいは父を超えるリーダーシップを有しているかも知れないが、リーダーシップ有無以前に、そもそも元服前の一二歳という若さでは源頼朝と同じだけのリーダーシップを発揮できる場面など無い。

 こうなると、源頼朝がこのタイミングで亡くなったら誰が利益を得るかという視点での推測となる。

 利益を得るのは北条時政、北条義時、比企能員、そして源範頼の四人の名前が挙がる。ただし、四人が共謀してのことではなく、四人の中の誰か一人、あるいは、北条時政と北条義時の親子の共謀となる。

 まずは源範頼であるが、源頼朝の身に何かあり、かつ、後継者に定めた源頼家の身にも同時に何かあったとしたら、源氏の血脈という一点で源範頼は着目を集める存在となる。もともとこの人は源平合戦における鎌倉方の総大将を務めたほどの人物であるし、何と言っても源頼朝の弟であるため、緊急時に鎌倉方のトップを務めるとなったときに御家人達からの、積極的支持とまでは言えないにせよ、消極的支持は獲得できる。ただし、源頼朝の身に何かあったが源頼家は健在であった場合、源範頼は新たなトップの叔父という立場に留まり、自身がトップに立つという選択は困難となる。それに、後述することになるが、源範頼に仕える武士の中には曾我兄弟と異父兄弟の関係にあたる人物がいる点も不審と言えば不審である。

 ただし、源範頼は源氏の血脈についてならば無視できなくても、源頼朝と母親が違うために鎌倉幕府のトップに立つ権利を失う。後には征夷大将軍が幕府のトップであることを意味するようになるが、この時点では征夷大将軍であることよりも、熱田神宮の宮司の娘を母とする、すなわち、壇ノ浦に沈んだ天叢雲剣あまのむらくものつるぎを本尊とする熱田神宮から、天叢雲剣あまのむらくものつるぎ形代かたしろを体現している存在であると認定された源頼朝の血を引いていることが求められる。源範頼は源頼朝と母が違うため、仮に征夷大将軍に就任できたとしても、この時点での鎌倉幕府のトップである資格を有さない。



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