倒れたときの自分 | いささめ

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歴史小説&解説マンガ

いつもなら平安時代叢書を載せているところですが、今日と明日は、ちょっとした長文を載せます。


一部の人は知っているかもしれないが、徳薙零己は一度、過労で倒れて休職に追い込まれたことがある。それも一年間の休職だ。
そのとき、何があったのか?

もう何年経つだろうか、あの頃の自分はこうなっていた。

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終電で帰り、始業時間よりも二時間早く出勤する暮らしが続き、疲労の限界を感じていた。
それでも納期が迫っているので無茶をする。
土曜日も出勤する。
日曜日も家で仕事する。

限界を感じながらも、それでもこなさねばならぬとの思いから仕事を続ける。
しかし、がんばっても結果が出ない。
ミスを頻発する。
ありえないバグを起こす。
質が落ちる。
納品した資料のダメだしの修正と、自分の抱えている作業と、他者の作成した成果物のチェックとに追われ、その全てをこなそうとして、その全てがこなせなくなっている。
エンジニアとしての自分の力量が明らかに劣化している。

さすがに自分でもおかしいと感じる。
それでも続ける。
そのうち、勤務中に手足が震え、地面が揺れているように感じだす。
東日本大震災のあと、しばらく地震酔いを体験した人ならばわかると思うが、それと似たような揺れをそのときは感じていた。周囲の誰に聞いても揺れてないと言う。揺れているのは自分のみ。
じっと落ち着いていられなくなる。
少し考え事をするだけでどうしようもなく苛立つ。
満員電車で身動きできなくなると苛立つ。
発狂する寸前というのはこういう心情なのだろうと自覚する。
昼間はものすごく眠いのに、夜は眠れない。
終電で帰って夜一時ぐらいに寝ようとしても、夜中の四時ぐらいまで眠れない。そして、五時に起きて慌てて支度をし、早朝出勤。
この状態が続き、猛烈な吐き気に襲われ、頭痛とめまいに悩まされ、このままでは倒れると自覚する。
 

休みをとって病院に行くと心療内科の紹介状が渡される。
紹介状があっても心療内科は予約待ち。ようやく受診できたのは二週間以上経過してから。
心療内科でカウンセリングを受け、診断書が本社宛に郵送される。同時に、心療内科から専門医のもとに連絡が行き予約手続きが取られる。
診断書が本社に到着した後、本社から休職についての指示が出る。
まずは二週間の引継ぎ期間の後、休職となることが決定。この時点ではまだ休職期間は一ヶ月程度で軽い症状だと思っている。


休職初日、休職手続きのために本社に行き、人事部長と面談。
人事部長から、診断書が送られてきてはじめて所属部門外に私の身体の状況が伝わったことを聞くと同時に、全社的な調査が行われたことを聞く。

人事部長から下された指令は、休職三ヶ月。
だんだんとシャレにならないと考え出す。

休職中、職場との連絡は禁止。休職指示が出たと告げたとき、職場から、仕事の上でわからないことがあるときに電話をするかもしれないと言われていたが、それも禁止となることが職場に通達される。
休職中に無理して会社に行くのも禁止。休職で療養が必要なのに無理して会社に来る人がいるらしく、それは絶対にしないようにと釘を刺される。
「出勤しなくてよい」という許可ではなく、「出勤してはいけない」という命令が課せられた。

いきなり出勤不可となったので困る。何をしていいかわからない。
PCでゲームをしてみたが、意欲が湧かないのですぐにゲームを終了する。
テレビを観ても面白いと感じない。バラエティやドラマを観たいという気持ちが失せる。BSのドキュメンタリーや街の風景、旅情を伝える番組などなら何とか落ち着いて観られるという程度。
ラジオはBGMとして耳に飛び込んではくるが、内容がぜんぜん頭に入らない。ラジオの野球中継を聞いていたはずなのに何対何でどちらが勝ったのかもわからないほど。
何もせずゆっくり休めと言われるが、そんな経験したことないので戸惑う。
病気は病気だが、風邪で身動きできないのとは違い、身動き自体はできる。
 

まずは散歩でもしてみようかと外出。
しかし、平日昼間に出歩くのは不審者扱いされると感じる。
どうすれば不審者扱いされないかを考えた末、今後、出かけるときはスーツ着用とすることを決定。これならば怪しまれない。
冷静に考えればどうでもいいことなのに、周囲の目を気にするようになるのも自分のような病気になった者の症状の一つ。

睡眠リズムが崩れ、夜中の三時にいきなり目覚めたかと思えば、朝日が射すころに眠くなり、昼間ずっと眠るという悪循環も体験。
さらには一日中眠っている。たぶん、一八時間ぐらいは寝ていて、起きている時間もボ~っとしている。
かと思えば目が醒えて全く眠くなくなる。徹夜しても眠くならない。
次第に、睡眠リズムがぐちゃぐちゃになっているのが当たり前になると考えるようになる。
これではいけないと思い、今までどおりの出勤時間にあわせて起き、通勤電車に乗ってみる。出勤してはいけないが、会社までの途中ならいいのではと考えてのこと。
しかし、満員電車にものすごいストレスを感じ、断念。
出勤できない身体になってしまったと思い悩む。

休職直後から酒が飲めなくなった。
飲みたいと思う気持ちが失せ、冷蔵庫のビールを全部父親に譲る。
毎年のようにビアフェスタに行っていたのに、行く気持ちも消える。
ビールだけでなくアルコール全般を見ただけで吐き気がしてどうにもならなくなる。
ちなみに、それまで何度も行っていた飲み会にも、休職前はほとんど行かなくなっていた。飲み会に行く時間より自分の時間がほしかったのが本音だったのだが、もしかしたら、その頃から病気のせいで酒がダメになっていたのかもしれない。

失せたのは酒を飲みたい気持ちだけでなく、食欲全般がそう。
空腹感は感じるが、胃の中に何かを入れようとすると気持ち悪くなる。
空腹感は糖分不足のサインだから、甘いものを飲めば収まると考え、コーラなどの甘みのあるジュースを飲んでごまかす。
五〇〇ミリリットルのペットボトルを飲み干すのに一日。その間、口にしたのはペットボトルのジュースと、水、そして処方された薬だけ。
さすがに自分でもこれは危険だと実感する。

意を決して牛丼屋に行く。
これまでは大盛りを食べていたが、並盛りを注文。
半分食べてギブアップ。
牛丼の並盛りも食えなくなったのかと悲しくなる。

休職してから一ヶ月は、だいたい二日に一日は家に籠る生活だった。
家にいる間はほとんど何も食べない。
さすがに空腹感を感じるので、ご飯と味噌汁、それと少々のおかずを食べる。
そしてトイレで戻す。
家に籠らないときは出勤時間にあわせて家を出る。
満員電車に乗れなくなってしまったので、混雑しないことがわかっている路線のバスに乗る。
自分は仕事でこのバスを使っているのだ、というように周囲から見られようとする。
話しかけられたときのために、「これから得意先のところへ」とか「取引先と会議がありまして」とかのウソを用意しておく。もっとも、誰も話しかけてこないのだが。

働いているフリをするために、スタバでノートPCを開く。
何も注文しないのは失礼なので、ホットのドリップコーヒーをヴェンティサイズで頼む。
そして、ゆっくり、ゆっくり飲む。長くいたいからゆっくり飲んでいるのではなく、コーヒーが熱いからゆっくり飲んでいるのであり、コーヒーそのものが大量にあるので長時間飲み続けることになるのだと装う。
どうでもいい言い訳を自分にしつつ、だいたい二時間はスタバにとどまる。

スタバでドリップコーヒーを買うと、レシートを持っていけば当日一〇〇円でもう一杯ドリップコーヒーを買えるので、別のスタバに行ってドリップコーヒーもう一杯と、クッキーを一枚注文。
そこでもやはり、ゆっくりゆっくり過ごす。
この頃、固形物で食べることができたのはこのクッキーだけ。
ちょうどいいダイエットになるかなどと自分で自分にボケてはみるが、危機感を感じることに違いはない。
同時に、食欲が落ちているのに体重が減らないという怪現象が起こる。

疲労は身体にも現れていて、マッサージに行くと、身体の凝りのひどさにマッサージ師が驚愕する。
特に首が回らず、普通の人なら横に九〇度は首を回せるところが、自分の場合は六〇度にも届かない。ここまで首が硬い人は初めてと言われる。
首のマッサージを頼んだら、マッサージ直後はそれなりに首が回るが、一時間もすればまた硬くなる。
首のマッサージ器を買って試すも、あまり効果は見られない。

本屋で病気に関する本を買って読んでみると、自分のこれまでの働き方が、「やってはいけない」をそのまま示したようなものだった。
ちなみに、本についていたチェックもしてみたが、該当しなかったのは「タバコの本数が増えた」と「生理不順」だけだった。


バスで移動できる範囲を徐々に広げることができ、また、満員電車でなければ電車にも乗れるようになる。
また、食べても吐かなくなった。
食べる量は減ったし、酒が飲めないのは続いているが、食欲の回復は何より。

この状態で休職三ヶ月を過ぎようとしていたとき、心療内科から紹介された専門医の面談をようやく受けることとなった。専門医の所に行くまで三ヶ月かかったと言うべきか。なお、専門医からも会社に連絡が届くようになっている。

この頃、自分はすぐにでも復職できると思っていた。

しかし、専門医からこの状態で復帰なんて冗談ではないと怒られた。

私の症状は本人が考えている以上に重かったと知る。
三ヶ月も休んだ状態の私が、普通の人なら過労死で倒れる寸前のレベルとのこと。休んで回復しつつあるはずなのに、それが過労死寸前というレベル、つまり、手足が震え、地面が揺れていたころの私は、過労死していないほうがおかしいレベルだったらしい。
一〇〇点満点で六〇点以上が合格という試験で、得点が一桁だったのが、ようやく一〇点を取れるようになったというレベル。合格にはまだまだ遠い。
即刻休職延長。とりあえずは三ヶ月の延長だが、症状を考えると最低でも一年の休職が必要だと聞かされる。

休職期間が延長となったことに加え、自分の年齢を見つめなおしたことから、働くことについて真剣に考え出す。
この年齢までただ目の前の仕事をこなすことしかしておらず、漠然と生活していて、このままでいいのかと思い悩む。

スタートとして、ドラッカーに手をつける。
手当たり次第に読み始める。
ドラッカーの本を一日一冊のペースで読む。
ほぼ毎日ドラッカーの本を買っていくので、本屋の店員さんたちの間で、私のことが「ドラッカーさん」と呼ばれるようになった。
自分も学生時代に本屋でアルバイトをしていて常連客にあだ名をつけていたので、その因果が巡り巡って自分の元に届いたということか。

その時点で売っていた日本語のドラッカーの本を全部買って読んだけども物足りないので、ドラッカー以外のビジネス書を手当たり次第に買って読み始める。「ドラッカーさんがドラッカーじゃないけどドラッカーっぽい本を買い始めた」と言われだした。

さすがに本をたくさん買うと置き場がなくなる。ただでさえ自分の部屋は本であふれかえっているのに、さらに毎日のように本が増えるのだから、収拾がつかなくなる。

そこで、本の裁断機とスキャナーを買い、本の自炊を始める。
みるみるうちに部屋の中から本が減り、PCの中にPDFファイルへと姿を変えた本が増えていく。
本に埋もれて見えなかったフローリングの床がようやく見えるようになった。

専門医への通院は定期的に続く。
徐々に回復していることは本人も医師も確認できているが、医師の診断によると、やはりまだ復職はNG。
「これでどうして過労死しないのかおかしい」から「普通の人なら過労死寸前」まで回復し、さらにそこから回復したといってもそれは「このまま行くと過労死するので、ただちに休職させる必要あり」というレベルへの回復であることを知る。
合計六ヶ月の休職期間が終わろうとする頃、さらに三ヶ月の休職が延長。普通の人ならば「ここまで悪化したら休職」という状態なのだが、自分は「『ここまで悪化したら休職』となるところまで回復」という、わけのわからない状態に。
なんとまあ自分は無茶なことをしてきていたのかと改めて実感。

この頃になると、自炊した本だけでなく、電子書籍そのものを買うようになっている。
気軽に買えるのでついつい買いすぎ、翌月のクレジットカードの請求額がえらいことになる。
ビジネス書の延長で、スティーブ・ジョブズ関連の本を電子書籍で読む。
圧倒されると同時に、これまで読んできたドラッカーの理念と違う経営をして世界一の会社を築いたことに、「うん、まあ」という微妙な感覚を抱く。
聖書や資本論のように一字一句その通りであると心酔し、異なる考えを認めないとする人たちと違い、自分はドラッカーの読者ではあるが、狂信者なわけではない。このどこか冷めた感覚は昔から。これは病気になったところで変わる性格ではない。

休職九ヶ月目、復職に向けての三ヶ月にわたるプログラムが始まる。
つまり、これまでの静養をメインとした休職から、復職できるまでの回復を目指す休職への変更であるが、休職期間ではあることに変わりはなく、復職そのものではない。
そのため、自動的に休職期間がさらに三ヶ月延長。これで休職一年となることが決定。

まず、家に引き籠もらずに毎日外出する。
雨だろうと、暴風雨であろうと外出する。
もっとも、冷静に考えれば、その状態で出勤するのは当たり前なので、当たり前のことを当たり前にできるようにするだけのこと。
それも通勤ラッシュにあわせて家を出て電車に乗り、帰宅ラッシュにあわせて家に帰るというスケジュールで。
これが意外なほどすんなり行く。とは言え、満員電車でパニックを起こしそうになるのは変わらない。
しかし、そのパニックも回を重ねてだんだんと落ち着いてくる。

回を重ねると、都心のさまざまな場所に出没し、その土地のスタバでPC開くのが日課になる。
もっとも、行動範囲は休職前と比べて驚くほど狭くなった。
かつては北海道や九州に行くのも苦ではなかった。旅行が趣味だったと言ってもいい。
それなのに、今では東京二三区と埼玉県南部、がんばって足を伸ばしても横浜が限界。
旅行したい気持ちはあるが、身体がまだそれを許さない。

リズムを掴むため、土曜日・日曜日・祝日は出かけない。出かけるとしても近所に足を運ぶ程度。会社が休日である日は自分の身体を休める日にする。

二週間に一度の通院で復職プログラムが順調に進んでいることを確認し、復職決定。
なお、当初は本社での勤務であり、ただちに元の職場に復帰すると決まったわけではない。

復職決定時、自分の不在の間に自分の仕事がどうなっていたのかを知る。
かなり厳しい状態であり、「自分が何とかしなければ」と考えたが、それを専門医に言ったら返された。
「そういう気持ちを持つから病気になったんです。がんばらないでください」と。


復職したとき、これまで自分のいた職場はメチャクチャになっていた。
会社は職場を切り捨てようとし、職場は会社から独立しようとしていた。
これまでの自分であれば職場を選んでいたかもしれないが、職場にとっての自分は倒れて復職したばかりの人間。要はお荷物。職場から要らないと言われ、職場から離れて本社へと戻った。

しばらく本社で過ごした後に、次の職場は決まる。
次の職場は、私が倒れて復帰したばかりの人間であること、月に一度の通院は必要な人間であることを受け入れた上で私を迎え入れた。
新しい職場の取引先にも私の症状を伝えた上で、取引をすることを受け入れてくれた。

かつて中間管理職であった。そこまでは事実だが、倒れて復帰した私はもう管理職ではなくなっていた。同期が次々と出世していく中で平社員に戻っていた。かつては同期の間で出世競争のトップを走っていた私が、今や最後尾。
給与も減ったしボーナスも減った。ただ、あの頃の、いつ命を落としてもおかしくない自分では無くなった。

これが、働き過ぎて倒れた人間の迎えた運命だ。
それでも、私はその運命を受け入れた。

新しい職場に移ってから数ヶ月後、独立した会社に転職しないかという誘いがあったが断った。「特別に残業しないでいいから」という言葉を聞いた瞬間、それまでの職場に対する感情は一瞬にして完全に消えた。彼らは何が悪いのか理解していなかった。

会社が職場を切り捨てたのは、職場が社員を守っていないと考えたから。
そして、仕事より社員を大切にする会社と、社員より仕事を優先する職場との対立が、職場の独立という結末を迎えたということだった。

これまでの人生を託してきた職場は、人生を破壊させる職場だった。
それは出世で埋め合わせることのできる損害では無かった。

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