欠けたる望月 160/240 (平安時代叢書 第十一集) | いささめ

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 どうやらこの頃、藤原道長は頼通の後継者として、真剣に源師房を考えていたようである。

 治安三(一〇二三)年六月、左大臣藤原頼通が右大臣藤原実資に対して、藤原実資の娘と源師房とを結婚させないかという相談を持ちかけた。これだけであれば特におかしなことではない。何と言ってもついこの間まで皇族であった将来有望な若者と大臣の娘である。右大臣藤原実資は、できれば娘を天皇の元に入内させたいという思いはあったが、源師房であれば娘の嫁ぎ先として申し分ない。

 というタイミングで、法成寺の藤原道長が、自分の娘の隆子を源師房に嫁がせるつもりだという話が挙がったのである。

 しかも、養父である藤原頼通の知らぬところでその話が挙がったのである。

 藤原道長はこれまで娘を天皇に嫁がせ続けてきた。それがここになって隆子の嫁ぎ先として源師房を選んだのである。これの意味するところは誰もがわかった。

 藤原道長の後継者は藤原頼通であるが、藤原頼通の後継者は源師房である。

 藤原道長は我が子の統治能力を見限ったのである。そして、頼通の後継者として藤原氏でない源氏の源師房を指名したのだ。これに驚かない人はいなかった。

 確かに藤原氏との血のつながりならある。また、藤原頼通の養子であり、頼通に実子はまだいない以上、誰かが後継者として擁立されなければならない。

 頼通に限らずほとんどの藤原氏は道長の子の突然の判断に不満を抱いたが、現実問題、頼通の次の世代のトップランナーは源師房である。その源師房と道長の娘が結婚すれば、世代のトップランナーを藤原氏で抱え込むことができる。

 治安四(一〇二四)年二月二七日、源師房と藤原隆子が結婚した。これで既定路線が確立された。


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