『人生会議のポスター』『救急車を呼ぶべきか否か』 | けいきちゃんのブログ

🌸“上手な最期”を迎えるには3

⛳「人生会議」ポスターの失敗
 ☆ACPを厚労省も積極的に広報に努めている
 *ACPを「人生会議」と意訳して作ったポスター

 *大きな批判にさらされた

 ☆「全国がん患者団体連合会」や、その他の患者団体から

 *がん=死を連想させる

 *がん患者の遺族を傷つけるという批判が出て

 *厚労省は1日でポスターの掲載を取りやめた
 ☆ACPは直訳すれば「事前のケアの計画」
 *「死に方計画」、あるいは「死ぬときの計画」です

 *筆者はそういう嘘のない表現にすれば成功していたと思う

 ☆ACPの重要性を理解してもらうには

 *インパクトが強いと批判の嵐となり、地味だと広がらない

 *悲惨で悔いに満ちた死に方をした人に

 *自らの経験を語ってもらえると効果もあるのでしょうが

 *死者となっていいるので、それは無理です

⛳救急車を呼ぶべきか否か
 ☆どんなとき救急車を呼ぶべきで、どんなとき呼ばないほうがいいのか

 *多くの人が迷うことでしょう
 ☆わかりやすいのは、超・高齢者の意識がない状態のとき

 *この場合は、そのまま静かに見守ってあげるのがベストです

 *かかりつけ医または、在宅医療の主治医がいれば

 *連絡して看取りに来てもらいましょう

 ☆間に合わなくても大丈夫です

 *逆に、間に合っても医者にできることはありません

 *命が終わってからでも、医者が死亡確認するまでは

 *法的には死んでいなく、死亡診断書も書いてもらえる
 ☆この場合、救急車を呼んでしまうと、悲惨なことになる

 *超・高齢者が死に瀕しているとき、救急隊員は

 *「どうして救急車なんか呼ぶんだ」と思いつつも

 *当然、口には出せず、型通り人工呼吸をしたりする

 *心臓マッサージをしたりしながら、病院に連ばぎるを得ない
 ☆運び込まれた病院の医者も

 *どうして病院になんか連れてくるんだと思いつつも

 *やはり口には出せず、型通りに蘇生処置をし

 *運悪く心拍が再開などしたら、気管チューブを挿入し

 *人工呼吸器につなぎ、肺のⅩ線検査をし

 *点滴をし、導尿カテーテルを入れと、せぎるを得なくなる
 ☆それでまた退院できるくらい元気になればいいですが

 *超・高齢者の場合はその可能性は低く

 *仮に復活したとしても、病気や年齢が回復するわけではない

 *またすぐ同じ状態になるのが関の山
 ☆冷静に考えれば理解していただけると思いますが

 *ふだんから心の準備をしていないと

 *救急車を呼ばない状況に耐えるのがむずかしくなります

 *だから、つい救急車を呼んでしまう

 *それは倒れているお年寄りのためではなく

 *不安に耐えられない家族が自分の安心のために呼んでいる

 ☆病院に運ばれたお年寄り

 *せっかく自宅で静かに亡くなりかけていたのに

 *余計な苦しみを負わされることになる

 ☆超・高齢者の身内がいる人は

 *最後の孝行のためにも、意識がない状態なら、救急車は呼ばないと

 *ふだんからしっかり気持ちを決めておくのがよいと思う

                        (敬称略)
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⛳出典、『人はどう死ぬのか』

 

 

 

 

 

『人生会議のポスター』『救急車を呼ぶべきか否か』

(ネットより画像引用)