『 公安一課』『清和寮爆破事件』『極左暴力集団(過激派)』 | けいきちゃんのブログ

🌸公安一課VS過激派

⛳清和寮爆破事件
 ☆清和寮風呂場近くの塀付近で爆発が起きた

 *巡回中の青木氏は破片を胸や腹に受けて即死した
 *突然の爆発に地面は激しく揺れたという
 *5分後、約7m離れたごみ置き場付近で2回目の爆発があった

 *寮に住む別の巡査長が左目を失明した上、両足骨折の大けがをした

 ☆昭和天皇の崩御を受けて即位した天皇陛下(明仁天皇)が

 *皇位を継承したことを内外に示すた

 *「即位の礼」関連行事が行われていた

 ☆天皇制打倒を掲げる極左暴力集団(過激派)たちの

 *テロやグリラが予想されるなか

 *戦後最大級とも言われる厳戒警備態勢が敷かれていた

 *その最中で起きてしまった爆弾テロが「清和寮事件」

⛳別の寮(誠和寮)でも爆発
 ☆清和寮の爆破から約2時間後

 *世田谷区下馬の警視庁独身寮「誠和寮」敷地内の金網フェンス

 *誠和寮西側玄関前の物置付近の塀に

 *それぞれ爆弾がぶら下がっているのが見つかった
 ☆警視庁の爆発物処理班が駆けつけ

 *爆弾の解体処理に当たった

 *2つとも処理中に爆発してしまったが

 *幸いにもけが人は出なかった

 

⛳極左暴力集団の源流
 ☆警察当局は極左暴力集団(過激派)

 *「社会、共産主義革命を目指し暴力的な闘争を展開する集団」と定義 

 ☆極左暴力集団は路線をめぐる対立から日本共産党を離党・除名

 *メンバーが中心となって結成された
 *共産党などを既存左翼と批判する一方

 *離合集散を重ねながら現在に至っている
 ☆彼らは米軍に日本を守ってもらうことは

 *日本が米国の戦争に巻き込まれるということだとして

 *60年安保闘争や70年安保闘争で学生運動に介入し、勢力を拡大した
 ☆こうした運動は当初、若者のエネルギーの発露とみなされ

 *一般国民からも寛容に受け止められ

 *学生デモに暴力をふるう警察に対する批判の声も出たほどだった

 ☆凶暴性がエスカレートし国民や一般学生の支持を失い

 *全共闘運動は一気に失速、過激派の各セクトは孤立化した

 *地下にもぐり、成田空港の建設や拡張に反対する成田闘争

 *反皇室闘争、反戦運動などで爆弾テロや迫撃弾による

 *ゲリラ、放火などの犯行を繰り返すようになった

 *全体の人数は大幅に減少した
 ☆減少の理由は過激派にも高齢化の波が押し寄せた

 *又共産主義が時代遅れとなったため

 *大学の新入生に加入を促す行為が低調になったことだ

 ☆極左暴力集団の内部のセクト間で起きる

 *リンチや襲撃、闇討ちなどの暴力事件
 *内ゲバは鉄パイプによる集団暴行という形態が多かった

 ☆血の抗争は極端な共産主義者たちの縄張り争いに過ぎなかった

 *凄惨な殺数が繰り返された背景には、思想信条の違いではなく

 *元々仲間だったものの近親増悪的感情である

 

⛳黒ヘルと白ヘル
 ☆安保闘争の当時、ノンセクト・ラジカルのメンバー

 *黒ヘル、黒いヘルメットを好んでかぶっていたので呼ぶ
 ☆中核派はシンプルな白いヘルメットをかぶっていた

 *中核派を「白ヘル」と呼ぶ

 ☆視庁公安部

 *公安一課が革労協と中核派、共産同の流れをくむ組織の捜査を担当
 *公安二課は革マルの捜査を仕事の大半としている

 *黒ヘルや他セクトの生き残り捜査も担当している

 ☆警視庁独身寮の連続爆弾テロ

 *2つの寮にそれぞれ2個、計4個が仕掛けられていた
 *警視庁は延べ約16万4000人の捜査員を投入したものの

 *有力情報が乏しく捜査は難航

 *犯行声明が出ていながらも実行犯が特定できなかった

                      (敬称略)

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⛳出典、『公安はだれをマークしているのか』

 

 

 

 

 

『 公安一課』『清和寮爆破事件』『極左暴力集団(過激派)』

(ネットより画像引用)