「式年遷宮」「御太刀」「平安時代の職人気質」 | けいきちゃんのブログ

🌸古代が息づく伊勢神宮1

伊勢神宮、衣食住のタイムカプセル
 ☆伊勢神宮、わが国古代の衣食住の面影が、原型のままで息づく
 ☆式年遷宮の制度によって20年に1度

 *平安初期に定められた『延喜式』の規定をもとに

 *建物も神宝も装束も何もかも、古代と違わぬ形と風合で刷新される
 *伝統と刷新が完全に一致している点において

 *まさに世界に類を見ない奇跡的な制度だ
 ☆美術工芸品は、どのようにして製作されていたのか
 *同時代の『宇津保物語』によって、知ることができる


式年遷宮、全て古代のまま
 ☆『延喜式』巻第四「伊勢大神宮」

 *内宮と外宮の諸殿舎、別宮、年中行事、遷宮、関係官司等

 *詳細かつ厳密に規定している

 ☆式年遷宮には全部で60柄の御太刀が調進される

 *華麗で重厚な装飾をなされている御太刀

 *製作にどれほどの金と時間がかけられたのか、見当もつかない
 *皇大神宮の主祭神・天照大御神がお使いになる御料として献ぜられる

 *平安時代の小内人(神祭に用いられるさまざまな物を作る人びと)

 *「天職」の意識が強く働いていたものと想定される

平安時代の職人の天職は消えず
 ☆平安時代の末期に生まれた職人

 *注文主から渡された材料を加工して報酬を得る職人である

 *その後、材料の供給から製品の販売を受け持つ職人の親方が生まれる
 *公家や社寺の保護をうけて営業権を守る「座」を結成する

 *戦国期に入って、公家と社寺の座が崩壊した

 *大名の統制下に移って城下町に集まる
 (鍛冶町、鉄砲町、弓町、輸師町、大工町、紺屋町の職種別の町に住む)
 ☆身近な同業者との競争と切磋琢磨によって注文に応ずるだけでなく

 *自分でも納得のいく完成度を追い求める職人気質受け継がれた

 ☆その後の職人、古代の作物所の工匠のように、時間と採算を度外視して

 *最高の品質を探求しつづけるということはできなかった
 *わが国の美術工芸品の水準は平安時代において頂点を極めた

 ☆式年遷宮の制度によって

 *絶頂期の水準がいまも維持されているのである

                       (敬称略)

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