「障害」「言葉は権力」「言葉狩り」「表現の自由」 | けいきちゃんのブログ

🌸ポリコレと言葉づかい7

 

言葉の言い換えでは解決しない問題
 ☆「医療的障害」「社会的障害」

 *「障害」とは、病気やケガ、先天的な要因などで

 *「することを障害されている」のを「医療的障害」と呼ぶ

 *医療や科学技術でその「問題」がなくなれば「正常」に戻る
 *「することを社会によって妨げられている」ことが「障害」

 *「社会的障害」と言われいる

 ☆経済学者のアマルテイア・セン

 *一人ひとりが異なる潜在能力をもってぉり

 *誰もが平等に発揮できるような社会を目指すべきだと唱えた

 ☆車椅子のひとにも

 *街に出かけて友だちとカフェでお茶したり

 *映画や買い物を楽しんだりする潜在能力がある

 *それが発揮できないとしたら、それは個人の問題ではなく

 *社会の問題なのだ

 ☆障害の社会モデル

 *潜在能力を「障害」しない社会をつくり

 *障害者を「包摂」べきだし考える

 ☆障害者の呼称が議論になるのは

 *日本に特有の問題ではなく英語圏でも同様だ

 ☆呼称改善の風潮に、当の障害者から抗議の声があがる

 *自分たちはヒーローでもなければ

 *他人を鼓舞するために生きているわけでもない

 *「チャレンジド」という呼び方は

 *まるで「挑戦」を強要されているようだという
 ☆現在ではポジティブな言い換えは「不適切」とされ

 *元の「disabled」に戻っていった

 *「障害者」表記をめぐる日本の混乱を考えるうえで示唆に富む

 *障害者問題は、障害者をどのように支援し

 *社会に包摂するかといぅ問題だ

 *ネガティブな言葉をポジティブに変えても解決しない

 

言葉は権力

 ☆差別問題にはつねに言葉をめぐる争いがついてまわる

 *人間が言葉を操る動物で、誰を受け入れ、誰を排除するかも

 *言葉によって示しているからで、言葉は「権力」そのものだ
 ☆社会のリベラル化にともなって

 *国家が法や社会制度でマイノリティを排除する

 *「大きな差別」なくなりつつある

 *企業も昨今では、「差別」と批判されない様、注意を払っている

 ☆「わかりやすい敵」がいなくなると

 *「闘争」の標的は「無意識の偏見」や「隠蔽された差別」のような

 *「わかりにくい」ものへと拡張されていく

 *これが、言葉に過度な注目が集まるようになった理由だ

 ☆こうした「言葉づかい」への批判

 *多数派にとり理不尽としか思えないかもしれない
 ☆日本で、部落解放同盟などによる差別語の糾弾に対して

 *「言葉狩り」との反発が起きた

 ☆「糾弾闘争」が形骸化して

 *言葉尻をとらえた「批判のための批判」になっている
 

リベラル化の潮流のなかで大きな差別がなくなる

 ☆必然的に、小さな差別をめぐる争いが勃発する

 *それが言葉づかいのレベルに至ると

 *なにが差別でなにが差別でないか

 *当事者のあいだですら意見が異なることも起きる

 ☆一部のひとにとっては重要な問題だが

 *「どうでもいい」と思うひとも一定数いるだろう
 ☆ポリコレのコードがより厳格になるにつれ

 *必然的に「表現の自由」と衝突する

                       (敬称略)

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「障害」「言葉は権力」「言葉狩り」「表現の自由」

(ネットより画像引用)