「奈良原」「誠忠組」「薩英戦争」 | けいきちゃんのブログ

🌸奈良原喜左衛門、英国人を切り殺した

 

「生麦事件」薩摩藩の行列と行き会った外国人

 ☆無礼討ちに遭い、この地で命を落とした

 *行列から真っ先に飛び出した馬上のイギリス人

 ☆有無を言わさず斬りつけたのが、奈良原喜左衛門
 *奈良原は、薩摩藩で、改革派が集まる誠忠組の一員

 *奈良原は、藩の実権を握っていた島津久光の目に留まる
 *誠忠組の面々と共にその側近として動くようになった

 ☆島津久光は藩主である島津茂久の父親だった

 *藩を動かしていたのは久光のほうだった
 *久光は、幕府の弱体化につけ込んで薩摩の勢力拡大を狙い

 *「維新十傑」小松帯刀や大久保利通といった

 *人材を誠忠組から取り立てている
 ☆久光に気に入られた奈良原

 *朝廷の勅使を伴う久光のお供で、京、江戸に赴く
 ☆生麦事件、久光一行が江戸から薩摩に戻る途中で起きた

 

⛳奈良原は、イギリス人をひと太刀で殺害した

 ☆イギリス人商人のリチャードソン一行は 馬に乗り

 *川崎大師を見学してから横浜に戻る途中だった
 *生麦村で彼らは久光一行の大行列に遭遇する
 *馬上の一行は馬から降りずに

 *道の端に寄って行列をやり過ごそうとした

 *だが、馬がいうことをきかなくなり

 *道の真ん中に飛び出して行列をさえぎってしまった
 ☆久光が乗る駕籠を警護していた奈良原

 *太刀を抜くと、イギリス人一行をめがけて駆け始めた
 *事件は、一瞬の出来事で、奈良原は勇ましいかけ声と共に

 *リチャードソンを斬りつけた

 ☆武器を持つていなかったイギリス人たち、逃げようとした

 *奈良原に斬られたリチャードソンの傷は深く

 *彼だけ落馬してとり残されてしまう

 *追ってきた薩摩藩士に取り囲まれ斬り刻まれて絶命した

 

奈良原の行動、倒幕のムードに火をつける結果になった

 ☆イギリス政府は薩摩に犯人の処刑と賠償金を要求する
 *薩摩側がこれを拒否し、薩英戦争がぼつ発してした
 *戦争は両国の痛み分けに終わった
 ☆異国相手に一歩も譲らなかつた薩摩を気に入ったイギリス

 *弱腰の外交策しかとれない幕府に見切りをつけ

 *イギリスは薩摩に近づく
 ☆イギリスの後押しで、薩摩の倒幕ムードは一気に高まった
 *血気盛んな薩摩隼人が引き起こした殺傷事件

 *その後の幕末の動乱に大きな影響を与える

 ☆奈良原の名前は幕末の動乱の中にはとんど登場してこない
 *事件から3年後に新時代の到来を見ないまま

 *35歳でこの性を去ったが、病没なのか切腹なのか

 *その最期は明らかになっていない
                       (敬称略)

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⛳出典、『日本史の黒幕』

 

 

「奈良原」「誠忠組」「薩英戦争」

(『日本史の黒幕』記事より画像引用)