古代~中世の戦乱2(将門の乱・刀伊の入寇) | けいきちゃんのブログ

🌸平将門の乱

 

 ☆関東を支配下に収め新皇を名乗り朝廷に反抗

平安時代の平将門の乱
 ☆京では藤原氏を中心とする貴族が権力を私物化する

 ☆中央での出世を諦めた中・下級貴族たち

 *国司として地方に降り、豪族を支配するようになる
 ☆地方に降りた貴族たち、武装化し、独自の勢力を形成していった

 ☆平将門もその一人
 ☆一族と争っていた将門は、国府を次々に襲撃

 *関東のほとんどを手中に収め、朝廷への反逆を宣言

 ☆朝廷は将門討伐を全国に命じる

 *藤原秀郷と将門一族の平貞盛がこれに呼応して将門を襲撃

 *将門は敗れ戦死した


常陸国府を奪った将門
 ☆平将門が下総の所領等で争っていた頃

 *武蔵では、役人と皇族・興世王、源経基が対立していた

 *常陸では、役人・藤原維幾と藤原玄明が争っていた

 ☆将門はこれらの仲裁を行い

 *藤原玄明の赦免で常陸国府を訪れた

 ☆国府には、伯父の平国香の子がいて攻撃してきた

 *将門は、応戦して国府を占拠し平将門の乱が始まった

 

敗軍の将、平将門

 ☆将門、関東を支配して「新皇」を名乗る

 *将門は下総国、豊田・猿島郡を本拠とした豪族

 *桓武天皇の流れを汲む桓武平氏の一族

 ☆将門は、対立した伯父の平国香とその一族を打ち破った

 ☆結果、将門は朝廷と対立する

 *反逆者の将門は自ら「新皇」を名乗る

 *関東に独立王国を築こうとした

 ☆将門の乱は、律令制の崩壊を加速させ武士の発生と台頭を促す

 

🌸刀伊の入寇

 

 ☆藤原氏の全盛期に起きた知られざる外敵との戦い

 

平安時代の刀伊の入寇
 ☆藤原氏の全盛期、刀伊の人寇事件が起こった

 *中国大陸北東部に住む刀伊(女真)が渡海して

 *対馬・壱岐を攻撃し北九州へ侵人した

 *刀伊は朝鮮の高麗王朝へ略奪行為をくり返していた

 *刀伊は博多にまで迫った

 ☆大宰府長官の藤原隆家の奮戦で、刀伊を朝鮮半島へ撤退させた

 *2週間ほどの戦闘で、被害は甚大で死者は350人以上

 

朝鮮半島を経由して刀伊が襲来
 ☆高麗を攻略した刀伊は、南下して対馬と壱岐に侵攻

 *両島占領後、博多に攻め入る
 ☆志摩郡沿岸を攻めるが大神守宮らが撃退した

 *撤退途中に松浦郡を襲う

 *ここでも源知らに撃退されて退却する

 

勝軍の将藤原隆家

 ☆藤原道隆の4男「天下の荒くれ者」と呼ばれる

 *兄の伊周と、花山法皇を弓で射る暴挙をおこして左遷される

 *許されて帰京するも眼病をわずらう
 ☆大宰府の名医の噂を聞いて大宰権帥として赴任
 *大宰府では善政を敷き、民に慕われた

 *在任中に刀伊の入寇が起こり撃退した

                      (敬称略)

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⛳出典『日本の合戦』

 

 

 


古代~中世の戦乱2(将門の乱・刀伊の入寇)

(『日本の合戦』記事より画像引用)