近世のドイツ(8)(一体化する世界の時代) | けいきちゃんのブログ

🌸ドイツ全土の荒廃を招いた30年戦争

 

⛳ドイツの人口が3分の1に

 ☆ヨーロッパ諸国での革命
 *オランダ独立戦争やイギリスのピューリタン革命

 *フランスのユグノー戦争

 ☆ドイツ(神聖ローマ帝国)でもプロテスタントとカ卜リックの対立
 ☆皇帝カール5世はルターに妥協した「アウクスブルクの和議」
 *諸侯たちに、カトリック信仰、ルター派信仰の選択の自由を認めた
 *300もある諸侯が、カトリックかルター派かを選択できる
 ☆ドイツは“モザイクのように"ごちゃまぜな国家となる
 *「アウクスブルクの和議」が、国内不統一を生む

 ☆隣り合った諸侯同士がいがみ合う

 *17世紀最大の戦乱である三十年戦争が勃発する
 *カトリックとルター派の諸侯の混戦で、決着がつかない

 ☆ヨーロッパ全体を巻き込む大戦争へと発展

 *カトリック側はスペインの力を借りる

 *ルター派諸侯は、同じプロテスタント国の力を借りる

 (カトリック国のフランスの力も借りる)

 *戦争により、 ドイツの人口が3分の1になった
 ☆ウエストファリア条約で停戦が決まるが大ゲンカのあと

 *帝国が再び1つにまとまるわけがない

 *皇帝は、諸侯を独立国として認め、信仰を自由化した
 ☆「神聖ローマ帝国」は、皇帝は存在するが解体された国家となる
 ☆ウエストファリア条約は「帝国死亡診断書」といわれている

⛳「新興国」と「古豪」の激突
 ☆三十年戦争以降、 ドイツの諸侯の中で頭角を現したのは

 *プロイセンとオーストリアの2つの国家
 ☆プロイセンは、三十年戦争後に成立した若い国家

 *国王の子が「大王」と称えられるフリードリヒ2世

 *聡明で軍事的才能に恵まれ、芸術も学問も一流の人物でした
 ☆ハプスブルク家のオーストリア

 *神聖ローマ皇帝を輩出するヨーロッパ第一の名家でした

 *三十年戦争で神聖ローマ帝国が実質的に解体したのち

 *自国の経営に集中する
 ☆「新興国」プロイセンと「古豪」オーストリアの2回の激突
 ☆第1ラウンドのオーストリア継承戦争は、プロイセンが勝利する
 *フリードリヒ2世は、シュレジエン地方をオーストリアから獲得する

 ☆第2ラウンドのオーストリア失地奪回戦争

 *オーストリア、ヨーロッパ中を驚かせる同盟を組む

 *プロイセンと対抗し「宿敵」フランスとも同盟を結ぶ
 ☆プロイセンも、ロシアの脅威に対抗するためイギリ盟関係を結ぶ


リベンジマッチの戦線が世界に広がる
 ☆シュレジエン地方の奪回を図ったリベンジマッチ

 *オーストリアと同盟国フランス

 *阻止を図るプロイセンとイギリス
 ☆第2ラウンドの七年戦争

 *戦線はヨーロッパのみならず

 *イギリスとフランスの間で起きたアメリカ・インドの奪い合いに発展

 *プロイセンの勝利に終わり、シュレジエン地方の奪回ならず

                     (敬称略)

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⛳出典、「世界史の教科書」

 

近世のドイツ(8)(一体化する世界の時代)

(「世界史の教科書」より画像引用)