法乗院(深川ゑんま堂)
☆真言宗豊山派の寺
☆えんま堂には日本最大の閻魔大王座像が安置されている
☆本堂1階には江戸時代に描かれた『地獄極楽絵』が展示されています
☆境内には「日本三大仇討ち」で知られる曽我五郎の足跡石がある
巨大な閻魔大王は19のお願いを叶えてくれる
☆閻魔大王像、コンピューターで制御
☆大王像の前に、「家内安全」「交通安全」「夫婦円満」「ぼけ封じ」など
*19のご祈願が別個に記された賽銭の投入口が用意されている
*自らの希望するご祈願に賽銭を入れると、仏様の様々な説法が音声で流れるシステム
☆閻魔大王の「除けと封じ」の力を生かしたもの
*日本初のユニークな機能となっている
閻魔(えんま)(ヤマ)
☆仏教、ヒンドゥー教などでの地獄、冥界の主
☆冥界の王として死者の生前の罪を裁く神
☆日本の仏教では、地蔵菩薩の化身とみなされ同一視されている
東アジアの「閻魔」
☆インドの閻魔(ヤマ)は、仏教に取り入られて閻魔天となる
☆地獄の主と位置づけられる
☆ヒンズー教、ヴェーダの閻魔(ヤマ)から二途に分かれていった
*下界の暗黒世界(地獄界)の王となった
*上界の光明世界(六欲天の第3天)夜摩天(焔摩天)となった
中国の「閻魔」
☆道教における冥界・泰山地獄の主である泰山府君と共に、冥界の王とされた
(閻魔王として地獄の主)
☆晩唐代に十王信仰と結び付けられ、地獄の裁判官の中心的存在となる
*泰山王とともに、「人が死ぬと裁く」という役割を担い、信仰の対象となった
*現在よく知られる唐の官人風の衣(道服)を纏った姿は、ここで成立した
日本の「閻魔」
☆仏教においては地蔵菩薩と同一の存在と解され、地蔵菩薩の化身ともされている
☆奈良時代に、閻魔の本地とされる地蔵菩薩が伝来した
*現世利益優先の当時の世相のもとでは、閻魔は普及しなかった
☆平安時代になって末法思想が蔓延する
*平安初期には貴族、平安後期には一般民衆と地蔵菩薩(閻魔)は広く布教される
☆鎌倉初期には、『地蔵十王経』が生み出された
*閻魔の本地が地蔵菩薩
*閻魔王のみならず十王信仰も普及するようになった
*本地である地蔵菩薩は地獄と浄土を往来出来るとされている
☆十二天の焔摩天は同じルーツを持つ神ともいわれる
☆中国では、焔摩天が閻魔大王に習合されていった
☆日本に伝わった時にそれぞれ別個に伝わったため二つに分かれた
閻魔王の法廷には、浄玻璃鏡という特殊な鏡が装備されている
☆魔鏡は、亡者の生前の行為をのこらず記録し、裁きの場で上映する機能を持つ
☆裁かれる亡者が閻魔王の尋問に嘘をついても、たちまち見破られるという
☆司録と司命(しみょう)という地獄の書記官が左右に控え、閻魔王の業務を補佐している
☆平安時代の公卿・小野篁には、閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという伝説がある
☆閻魔王はコンニャクが大好物であるという俗説もある
*文京区の源覚寺にこんにゃくを供えれば眼病を治すという「こんにゃくえんま」像がある
*各地の閻魔堂でこんにゃく炊きの行事が行われる
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『WIKIPEDIA』他