両統迭立の時代(天皇の玉座を巡って二つの系統が争い、両統が交互に即位)
御嵯峨天皇の遺言が両統迭立の混乱を生んだ
☆後嵯峨天皇は、兄の後深草天皇よりも弟の亀山天皇を寵愛し、弟の皇子を皇太子にした(後宇多天皇)
☆後嵯峨天皇は、将来の皇位は、幕府の推挙に任せるという遺言を残し崩御
☆後深草上皇が幕府に訴えた結果、後宇多天皇の皇太子には後深草上皇の皇子がなった
☆二つの血統が交互に天皇になり、皇統が分裂する状態になった
☆「持明院統」後深草天皇は京都の持明院を御所にした
☆「大覚寺統」後宇多天皇は嵯峨の大覚寺を御所にした
☆両統の迭立は続き、両統の抗争は後に南北朝の動乱へと発展する
後嵯峨天皇の代から天皇と朝廷は、鎌倉幕府の統制下に置かれた
☆「承久の乱」後に即位した堀河天皇、四条天皇が若くして崩御
☆次の天皇を誰にするかで公家と幕府が対立
☆公家側は順徳天皇の皇子を推した
☆幕府は、後鳥羽とともに承久の乱の首謀者だった順徳天皇の皇子には難色を示した
☆幕府は、土御門天皇の皇子をくじを引で決め、第三皇子が後嵯峨天皇となった
☆天皇は4年で退位し、後深草、亀山と皇子二人を天皇に即位させ院政を行った
☆鎌倉幕府の意向によって誕生した天皇
☆鎌倉幕府の依頼を承諾し、将軍に皇子の宗尊親王が就任した
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出典、『歴代天皇史(三栄書房)』(綺麗な絵画が記載されています)
両統迭立の時代(『歴代天皇史(三栄書房)』記事より画像引用)