ヤジ排除に対する東京弁護士会の意見書について | 下関在住の素人バイオリン弾きのブログ

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1 前置き

 

道警のヤジ排除に関して、東京弁護士会が9月9日付の意見書を公開した。下部にリンクを貼っておく。

 

この意見書における判例の引用が不正確であると感じる。

 

2 検討する部分

 

この意見書には、次の部分がある。以下、この部分を「当該部分」という。

 

「この点について、裁判例は、『選挙演説に際しその演説の遂行に支障を来さない程度に多少の弥次を飛ばし質問をなす等は許容』されるとし、『他の弥次発言者と相呼応し一般聴衆がその演説内容を聴取り難くなるほど執拗に自らも弥次発言或は質問等をなし一時演説を中止するの止むなきに至らしめるが如き』行為に至らなければ公職選挙法上の演説妨害罪は成立しない(同号に該当しない)旨判示しており(大阪高判昭和29年11月29日高等裁判所刑事裁判特報1巻11号502頁)、」

 

ここに引用されている大阪高裁判決を、以下単に「当該判決」という。

 

当該部分に対応する当該判決の原文は、次の通りである。この部分の原文を、以下単に「原文」という。

 

「演説の妨害となることを認識しながら他の弥次発言者と相呼応し一般聴衆がその演説内容を聴き取り難くなるほど執拗に自らも弥次発言或は質問等をなし一時演説を中止するの止むなきに至らしめるが如きは公職選挙法第二百二十五条第二号に該当すると解すべきである。」

 

意見書は、原文から当該部分の内容を導き出せるとしている。

 

(当該部分は、原文の「演説の妨害となることを認識しながら」の部分を省いているが、以下では、省かずに検討する。)

 

3 具体的検討

 

検討を分かりやすくするために、以下、記号を用いる。

 

「演説の妨害となることを認識しながら他の弥次発言者と相呼応し一般聴衆がその演説内容を聴き取り難くなるほど執拗に自らも弥次発言或は質問等をなし一時演説を中止するの止むなきに至らしめるが如き」にあたることを、以下「A」とする。

 

また、「公職選挙法第二百二十五条第二号に該当する」ことを、以下「B」とする。

 

原文の内容は「AならばBである」と表現することができる。

 

また、当該部分の内容は、「Aでないならば、Bではない」と表現することができる。

 

本題に入ると、「AならばBである」という命題を真とした場合、「Aでないならば、Bではない」という命題が真であることにはならない。

 

「AならばBである」という命題においては、「Aでない」場合については、判断がされていないというのが正しい。

 

「AならばBである」という命題を真とした場合、真となるのは「Bでないならば、Aではない」という命題である。

 

なぜなら、「Bでないならば、Aではない」という命題は、「AならばBである」という命題の対偶だからである。

 

以上から、当該部分は、元の命題に含まれていない命題を導き出すという誤りをおかしていると思われる。

 

4 当該判決の位置づけ

 

(1)高裁レベルであること

 

最高裁の判例がある場合、下級裁判所の裁判例は参考資料の位置づけである。

 

演説妨害罪の成立範囲については最高裁判例があり、当該判決は参考資料の位置づけである。

 

(2)判例の種類

 

判例は、「実務上、法理判例、場合判例、事例判例という3つに区別されて」いる(田中豊「法律文書作成の基本[第2版]」61頁)。

 

「『法理判例』とは、制定法の要件又は効果に係る規定の解釈を示す判断をしたものをいいます。これに対し、『事例判例』とは、制定法の要件又は効果に係る規定の一定の解釈を前提として、当該事案についての適用の可否を示す判断をしたものをいいます。『場合判例』は、2つの中間に位置し、そこで示された判断が当該事案に限定されるわけではないが、制定法の要件又は効果に係る規定の解釈としては1つの場面に限定されたものをいいます。」(同書61頁、62頁)

 

(3)当該判決の意義

 

高等裁判所刑事裁判特報に収録されているのは、当該判決の一部である。

 

高等裁判所刑事裁判特報においては、「同第二点について」という表題がある。これは「弁護人の控訴理由の第二点に答えますよ。」という意味である。

 

これに4つの文章が続いている。この4つの文章を、第1文、第2文、第3文、第4文と呼ぶことにする。

 

このうち、第1文は前置きにすぎない。

 

そして、第2文で、「AならばBである」というルール(規範)を定立している。

 

その上で、第3文で、起訴されている事案について、Aに完全に沿った事実を認定している。

 

最後に、第4文で起訴された事案についてBという結論を述べている。

 

つまり、Aは、起訴された事案をなぞるものであり、その事案の場合に限定された内容になっていることになる。

 

その結果、「AならばBである」というルール(規範)も、1つの場面に限定されたものであることになる。

 

要するに、当該判決は、場合判例である。

 

しかも、Aの内容がかなり具体的なので、事例判例に近い場合判例であることになる。

 

以上から、当該判決は、Aに重なる他の事案には参考資料の意味を持つが、それ以上の意味は持っていないことになる。

 

5 まとめ

 

当該部分は、まず、最高裁の判例と下級裁判所の裁判例を明確に区別して扱うことをしていないという難がある。

 

その上、最高裁の判例の内容を、射程の狭い下級裁判所の場合判例の範囲に閉じ込めている。

 

このような解釈は、無理があると感じる。

 

このたびのヤジ排除の事案におけるヤジは、当該判決とは事案が異なっている。

 

したがって、このヤジに演説妨害罪が成立するか否かを判断するには、当該判決の規範ではなく、最高裁判例の規範をこの事案にあてはめて、結論を導く必要があるといえるだろう。(その際、適宜中間規範を定立することは差し支えない。)

 

それなのに、当該判決の規範にあてはまらないという一事を理由に、このたびのヤジに演説妨害罪が成立しないという結論を導き出したのは、論理に飛躍があるのではないだろうか。

 

東京弁護士会の意見書

https://www.toben.or.jp/message/ikensyo/post-549.html

 

大阪高判昭和29年11月29日高等裁判所刑事裁判特報1巻11号502頁

http://www12.plala.or.jp/tokuichi/enzetubohgai.pdf