1 前置き
何度か、記事にしている「エネルギー的人間論」。
人間や社会についての一つの見方を提示するが、問題の解決方法は一切提示できない理論だ。
しかし、この考えを深めて行けば、問題の解決方法が見えてくるのではないかと思っている。
今回の記事も、これまでの記事の繰り返しにすぎないが、何か考えを深められないかと思って、書くことにする。
2 エネルギー的人間論
(1)全体像
人間は、内部にエネルギーを持っている。
たとえば、鉛筆で文章を書く。
これも、何らかのエネルギーが、その人の内部から出て来たから、起こったことだ。
そのエネルギーには二種類がある。
プラスエネルギーとマイナスエネルギーだ。
この2つのエネルギーのそれぞれについて、「もともとエネルギー」と「あとからエネルギー」の2種類に分けることができる。
つまり、個人の内部にあるエネルギーは、「もともとのプラスエネルギー」「もともとのマイナスエネルギー」「あとからのプラスエネルギー」「あとからのマイナスエネルギー」の4種類があることになる。
「もともと」と「あとから」の区別は、一応、出産時としておく。
「あとからエネルギー」も、こまかく区分を設ければ、出産時から4,5歳までの物心かつくまでの時期に外部から内部に受け入れたエネルギー、その後12,3歳までの間の時期に外部から内部に受け入れたエネルギー、14歳から18歳くらいの時期(青春時代)に外部から受け入れたエネルギー、19歳以後の大人の時期に外部から内部に受け入れたエネルギーなどと、時期を区切ることも可能だろう。
(2)もとからエネルギー
人間は、出産時に、生まれもったエネルギーを持っている。
その後、生きていき、人生を送るエネルギー。膨大なエネルギーだ。
その中には、何世代もかけて蓄積されたエネルギーもある。
マイナスの巨大エネルギーを引き継いで生まれた人もいるだろう。
(3)あとからエネルギー
あとからエネルギーとは、出産後、生きていく過程で、外部から受け取ったエネルギーのことだ。
ここで、毎回書いているエネルギー保存の法則が個人にも妥当するということを書きたい。
外部から受け取ったエネルギーは、目には見えないし、形もないけれど、受け取った人の内部にそのままの性質で残留する。
ただ、まったく同じ性質で他人に転嫁したときだけ、外部に出して、内部から減らすことができる。
つまり、暴力を受けて内部にもたらされたマイナスエネルギーは、同じように暴力を他人に振るわないと解消できない。
善人は暴力を振るわないので、いつまでもそのマイナスエネルギーを保存することになる。
3 エネルギー的社会論
(1)全体像
上述のように個人は、エネルギー的存在だ。
その個人が集まってできる社会は、個人と個人の間で、エネルギーのやり取りが行われる過程であるとみることができる。
その過程で、エネルギーは、一様ではなく、波のように分布する。
その中で、特定の個人の内部にマイナスエネルギーは集中し、濃縮することがある。
そのマイナスエネルギーが一定量以上になると、個人の制御できるところではなくなり、その人自身に向かうと自殺になり、他人に向かうと暴力沙汰や犯罪になる。
そして、自分や他人が築いたものが跡形もなくなる。
(2)もとからエネルギー
上述のように、人間には、数世代にわたって受け継がれた、マイナス又はプラスのエネルギーがある。
そのマイナスエネルギーは、想像を超える悪意の形を取る。
俗に言うサイコパスという人たちは、そういう持って生まれた異常性が基盤になっている場合がある。
もちろん、あとからエネルギーがマイナス過ぎてサイコパスになった人もいるだろう。
逆に幾世代にもわたって育まれた、心根の優しい人もいる。
(3)あとからエネルギー
人間は、出産後、「あとからエネルギー」を受け取りながら生きるので、長く生きれば生きるほど、あとからエネルギーは増える。
4 まとめ
やはり、問題解決方法を提示するには至っていない。
個人が内部に溜まったマイナスエネルギーを発散する方法の考究が必要だろう。
その際、個人の内部にあるものをそのままにして、単にその放出部分だけを遮断するやり方は、問題の悪化を招くだけだろう。
そして、社会の運営において、社会の構成員の受けるストレスを少しでも軽減するという観点から、仕組みづくりをすることが必要だろう。
文化が豊かで深くあれば、マイナスエネルギーの一部を浄化できるだろう。