昔は長(おさ)という長老が村にいた。

その長はいついつの時期になる前に

「このようにして」

「こうすれば苗が成長するにいいから」

「たい肥の作り方はこのように」

村の行事に対しての役割を割り振りしたり

冠婚葬祭の場合など村の秩序を守るために調整する

聖(日知り、ひじり)の役目の人がいた。

六曜を用いて春夏秋冬の習慣や十の決まり事

まとめ役のような長老が聖人と言われた。

その聖人は暦(こよみ)の役目もあり、

その長にお伺いして村がまとまっていた。

聖は家の中では主である主人が受け持っていた。

昔は(地震、雷、火事、オヤジ)という言葉があるように

オヤジが含まれていたのは

主である主人は家長であり聖の役目もあった。

私が幼いころは丸いちゃぶ台で正座して食べていた。

父親が座っていなくても

その場所には座ることも出来ないくらいの威厳。

父親の背後には目に見えない聖があった。

先哲も同じことだと言える。

先哲の著書にも聖の役割があり

その中に回答があることを見抜く力を養うこと。

だがいまは聖を知る人もなく

聖を語る人もなく

國の秩序を教え導く人もなく

各家庭は核家族からお独り様になり

兄弟姉妹の立場と順序も見失い始めたようだ。

だからいま一度、日の中にも立場と順序が含まれていることを

知ってもらいたいのが聖。