素直には二通りある。
相手に従順な素直とありのままの姿で生きる素直がある。
大半が親孝行に囚われてしまっている。
雑草哲学でも書いたが、花壇の花は水を与えてくれる者に従順な素直で、雑草は水を与えてもらえないために、みずからの手で根を張らなければならないから、ありのままの姿で生き続けている。
親孝行者は相手に囚われているから、根を張ることを知らない。根とは子供や孫になる。
今度の図式を見ても分かると思うが、前回と同じで偽善の罪を犯した人には何も起きない。
なぜ起きないかと言えば、我が魂は我が魂に非ずであり、本人は息子長男の娘長女に魂を分け霊(わけみたま)するからだ。
だから本人の魂は孫が生まれないから、生まれ変われないと言うことになるのだが、偽善の罪を犯したために魂が里帰りできない。
それでも当の本人は意味も分からずもがき苦しんでいる。