二女は亡くなった父親の写真を祀っていたことが原因で、
息子(二男)の微熱がなかなか治まらず、
学校にも行けないのだと分かり、
写真を納めた途端に微熱が治まった。
このような実例も多い。
この場合、微熱で訴えかけていると気づいたからいいけど、知らずにいれば、
つぎには不登校になり登校拒否に化し、うつ病や引き籠もりに変化しているケースが多い。
魂の原理は、
息子(二男)は主人たる父と同じ魂になり、主人は二女婿だから奥さんの父親と同じ魂。
これは何を言いたいかといえば、
二女が父親の写真だけでなく、
陰祀りをすれば不倫や離婚問題になりかねないし、
それ以上に禍が降りかかってくる。
だが大部分が
「親がそんなことをするはずがない」
「親は子供たちを見守るんだから、いじわるをすることは考えられない」
「親を慕って何が悪い」
と言う。
魂は生きている。
魂は導いてくれている。
魂は永遠に存在する。
魂は神の世界では一つだが、人間界ではたったの二つになっただけ。
「ここ」も「そこ」も「あそこ」も一つに導いてくれている。
それを祀るという行為は、固有名詞を縛り付けるようなもんだ。
人間は生きているときに、憎んでいたり嫌っていたりした人をも導いてくれる。
それは神の世界に戻ったときに、神から魂はたったの一つだと諭されるからだ。
だから神の世界には憎しみも怨みもない。
すべてが一つに結ばれているからだ。
それを固有名詞を祀るという行為は、
同じ魂が定員オーバーではじき出されてしまい、
微熱で訴えかけていた。