「 頼ミ申ス、でな、甘酒横丁」洛中思案 | 徳川わ廣 のブログ

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Nihon koku Tycoon
(The August sovereingn or Grand Souverain" )

「頼ミ申ス、でな、甘酒横丁」21弥生晦日


普段の差し料の白木のさやが具合がわりひ、
刀のさやの事だよ、
うるし塗本鞘から刀身を休める時にゐれる奴、刀箱に入れおいてほっぽていた、 きつ目にこしらえて有った白木のさやが湿気かな、抜けなく為った 、
其の中に木製はばきを付けた竹光が入っている、
刀身に油塗ってゐる時に思い立って刀箱開けて白木のさやも抜こうとしたら、
駄目、とれなーい、で、与力に あのな、と頼んだ、
竹光とは言え本身の写しで ねじって壊したら勿体なひので与力に引っ張りっこを頼んだ、御勤め後、夜出向いてくれるんだと、

ぢゃあ 、駄賃として玉子焼きでもゝたせるか、で、人形町へ進むと考えた、
昨日は飛鳥山 王子の桜も見るべぇかと行って、渋澤栄一記念館も見たりした、
春包の身をば包むまわりの桜の咲きは実に頃合ひで良かったよ、
そして、王子も江戸の頃より玉子焼き屋の「扇屋」があり、
そいつをば取って喫すと塩梅したが、 桜、館御徒をば為して、しと通り眼目してたら夕まぐれとなり、早仕舞いで むむっ、この辺だが何処だで、扇屋をば探したが、
件の如しで買えなかった、そして、このたひは やさの手伝いの事有って、与力の剛力の駄賃をば 考へて 

玉子焼き、

でな、こちらも かじってやろうと、玉子焼きに燃えて、ゐるのさぁ、

(関東総稲荷、王子稲荷)

山谷堀から花川戸、並木~駒形、久松町をば、ちょひと曲がり人形町におん進み。

甘酒横丁の鶏 玉子焼屋に、「鳥近」「鳥忠」二軒有るので 叉 てめひも齧りたいから二軒とも寄せる事とした、
白木さやの引っ張りっこなんぞは すぐに形が附くと思うので 与力に卵焼きふたつ見せびらかして、どっちか選べと悩ませて、
片っ方 俺のとする、

(王子 飛鳥山)


可否沸かして、来んのを待つ、来たので挨拶、
まぁな、すれ違いざま会ってはいるが連れ立ち遊山しなくなった疫病からの此の一年無沙汰をば聞きの、与力家族の健勝云いのして、

抜けた、

与力 悩んで鳥近のを持ってくと云うので、ちっと、鳥近の味、持ってたの、
ちっとね、
そして、鳥忠残ったので 、山葵大根おろし附けて、夕膳だ。

そんだけの話し、




おしまい 、



(駒形堂 浅草寺観音が水揚げされた場所)