【簗瀬二子塚古墳: 日本史跡研究会長Yahooblog紹介】 | 徳川わ廣 のブログ

徳川わ廣 のブログ

アメーバは比較的にソフトに書いてます
「わ」、と書いてるのは「和」草書由来 徳川家和広は二人いますからね、もう一人は恐竜化石学者さん、

御上 徳川わ廣
Nihon koku Tycoon
(The August sovereingn or Grand Souverain" )

【簗瀬二子塚古墳:日本史跡研究会長Yahooblog紹介】

2016/1/22(金) 午前 2:04

書庫日本史跡研究会 会長長谷川氏紹介
http://blogs.yahoo.co.jp/tsjqu183/folder/510714.html


簗瀬二子塚古墳(群馬県安中市)

書庫福島県の古墳

【簗瀬二子塚古墳】

所在地:  安中市簗瀬756-1


古墳時代後期初頭(6世紀初頭)築造された二段築造の前方後円墳。
全長約80m。後円部径約50m・高さ約8m、前方部幅約60m・高さ約7m。
この地域一帯を支配した有力者の墓であると推測されています。


簗瀬二子塚古墳が築造された6世紀初頭前後、碓氷川流域では有力な前方後円墳の存在は無く、簗瀬二子塚古墳出現の背景に関しては検討課題が多く残されています。
※なお、5世紀には同市上間仁田の「経塚古墳」や岩井の「岩野谷57号墳」が築造されています。
                                                                                         古墳の埋葬部分は横穴式の石室であり、東国において石室が竪穴式から横穴式へと移行する時期のものと考えられ、学術的にも大変重要ですこれは単に埋葬施設が変化したというだけでなく、古墳時代の人々の死生観の大きな変化ととらえることが出来ます。

全長11.54m。羨道長7.47m・幅0.67~0.95m。玄室長4.07m・幅2.16~2.32m、高さ2.20m。



天井石には溶結凝灰岩である秋間石が使用され、壁石には近くを流れる碓氷川の川原石にベンガラ(赤色顔料)が塗彩されています。
遺物は円筒埴輪・形象埴輪、金箔ガラス三連小玉・勾玉、水晶製丸玉の玉類、金銅製耳飾りなどの装飾品、石製模造品、鉄鏃・鉄小札などの武具類などが出土しています。

※明治12年(1889)、石室の調査が実施されています。

これら出土遺物の数々は『安中市学習の森 ふるさと学習館』に展示されています


簗瀬二子塚古墳は墳丘の残存度合が非常に良かったため、古墳の保護を目的とした整備が行われました。

整備以前は雑木や竹林であった古墳ですが、木伐採を行った後に墳丘の形状を変えることなく盛り土して整備保存が行われました。

見学のための駐車場も整備され(4~5台のスペース有)、簗瀬二子塚古墳ガイダンス施設も併設されています

〔参考資料〕


新 安中市の文化財                                   安中市教育委員会


群馬の古墳を歩く                                       みやま文庫 


現地案内板


現地配布パンフレット