【乙未年 正月の散歩 成田山界隈】洛中思案 | 徳川わ廣 のブログ

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御上 徳川わ廣
Nihon koku Tycoon
(The August sovereingn or Grand Souverain" )

「乙未年15s 正月  成田山界隈」

与力の 若衆と正月早朝よりのやり取り、
大川墨田廻り五里程のかけっくらの鍛錬は正月より やるのかひ
何、さぶいから嫌だ、やらねひ、
爺いか、お前さんは
いざの時そんな事でどうする

こちらかひ、正月早々に木剣を川端でぶん回しておると
都鳥や鴨など見に来る、
それにこちら 爺いだ、 
家でぬくぬくするのは道理ぢゃ
おまんまの仕度をしたいが長椅子で母上が寝ており
どちゃがちゃ 出来ぬのか
なれば、天婦羅をば喫しに行くか江どうぢゃ 、 
あのな、
成田山へ行く

浅草より約一時半程、寒いです大東京よりよっぽど山と判る
着けば正月二日目、関東でも三指に入る人手多い処、混む前に先におまんまとする

昔しは飯盛り女も置いた旅籠が並んだそれらの中から一軒に寄せる
畳座敷に座して 品書きを共に 云々と見て
隣近所の喰ってる物観光して、
やはり天婦羅にする、
見世は木造でうなぎのけむだの、
揚げ物のけむで
見ねえな、いい飴色の電灯の傘、
香煎を喫していれば天婦羅が来る
天婦羅は
海老二本、芋に、ピーマンがおごって有る
吸い物が実に良ひ 
叉香々の沢庵が本漬けでぬかの漬かりが良い
満足なので山中へ上がる



                 (むまそう江戸風俗 Google因り)

山門を昇ります、本堂前に出れば
広く開けた  
しだりに釈迦堂を眼目する、本堂を見分し裏手の公園へ
愛染明王堂を見て
谷の池が凍っているのを知り 
氷だ氷だ、ちべてひなぁと 霜ばしらも普段は踏まぬ摩天楼で暮らす
こちら二人は温と騒いだ、煙草喫する場所をば探して奥に行き 竹やぶ越えたら出てしまった
出たので戻った

賑わいの中 釈迦堂横手で、地の者達が参詣人相手の見世をやってゐる、そこで大根汁で一服

其の時に若衆のうちわの話になった、
今は若衆が所帯となるが童子の頃若く父上が没した、
若衆も残念したし、  その言葉が出るね
これは、
母上も苦労した、 やも知れぬ若後家
知れぬが
母上は豪気だ  何せ兄弟はそれぞれ父上が違ふ

豪気だ

若衆にまだまだ母上は艶が温と有る、
こちらが通いたるか、
どうぢゃもう いちにん 弟いらぬか江、仕込むぞと申さば
様  それには及ばざると言ふ

子供ぢゃ

そんな話をばしていると、
若衆に母上から連絡が来る、煙草をば買ふておくれ
今は ぐりはまだ、成田山につん飛びしてゐる
ならば、てっほう漬けをば取っておくれ、
こうるせひ母じゃのう
だとさ

出先の調度に連絡とは勘働きに恐れいった


豪気だ


寒のぬくもる一服も仕舞いとし成田山をおりる
成田山名物の米屋の横手
馴染みの香々屋を紹介し  与力母上の土産を買って道を戻る


来た、


来たので二人して


帰る



(上野国立博物館)