私はベートーヴェン愛好家です。しかし、私は女性です。
私はベートーヴェンの作品を聴いて、彼の作品ばかりではなく、本人まで愛してしまっていたのです。
一人の音楽家ベートーヴェン。
一人の人間ベートーヴェン。
一人の男性ベートーヴェン...。
女性は男性に敬意を抱けば、いらぬ恋心みたいな感情まで抱いてしまう。
私にはそれが「邪念」に思えてしまいました。
ベートーヴェンの不滅の恋人に嫉妬していた時期がありました。
本人の生い立ちまで探ろうとしてしまいました。
だけど、そんな邪念で作品鑑賞を疎かにさせぬように、いつも心に誓っていました。
作品鑑賞もろくにせず、本人の生い立ちばかり模索してるような人間をベートーヴェン自身が快く思うわけもありませんし、それどころか
「鑑賞よりそれが目的であるのなら、私の愛好家なんかやめろ」
と仰るに違いありません。
私は「ベートーヴェンの作品を愛してる」という気持ちに偽りはありませんし、今日まで純粋に22年間、作品鑑賞を続けてきました。
他の女性とは違う人生を歩んだと思いました。
それはあまりにもあっという間であり、とても幸せだと思いました。
時には淋しくなったりしました。
それは、ベートーヴェンはすでに故人であるからです。
愛した男性に何もお礼も言えないし、生きている姿も知らない。
声も聞けない、同じ太陽の下にはもう、何処を探してもいないんだ..と。
悲しいような、綺麗な愛情のような気持ちだと思いましたが、それは違うと分かりました。
ベートーヴェンの目線から見たら「邪念」かもしれません。
「お前は作品より俺にしか興味がないのか?」
などと、不快にさせるだけです。作品を創る人間は誰だって、自分より作品に興味を抱いてほしいに決まっています。作品を観ないで作者本人の生い立ちばかり調べてしまうのは愛好家でも何でもありません。
誰だって知られたくない生い立ちはある。何でも他人に知られたい人間など存在しない。自分の全てを他人に話せる人間などいない。
「本人が好きだから何でも知りたくなる」のは、出過ぎた真似をしたいやらしい人間であるだけで、愛好家でもなんでもありません。
純粋にベートーヴェン愛好家でありたい私には恋心は邪念に過ぎません。
男性ベートーヴェン愛好家のように、恋心みたいな邪念が無い純粋な愛好家でありたいと思います。
ベートーヴェン本人は生涯で1番愛した男性ですが、やはり私が1番夢中なのは「ベートーヴェンの楽曲」です。