『エリーゼのために』は2曲存在する | Beethoven's works collectorのブログです

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ベートーヴェンのピアノ小曲の中から『エリーゼのために』は、巷でよく知られた愛くるしい作風のクラシック音楽。クラシック音楽に詳しくない方でも名前くらいは耳にしたことがあるでしょう。


その『エリーゼのために』の正式名称は


『エリーゼの思い出のために 1810年 4月27日作曲 イ短調 WoO59』です。


『エリーゼのために イ短調 WoO59』でも宜しいと思います。


タイトルの由来は『テレーゼの思い出のために』から、出版に携わった人が「テレーゼ」を「エリーゼ」と誤って読み間違えて、そのまま伝わってしまった...という説が有名です。それは、ベートーヴェンが悪筆だったこともあり、1867年の出版に携わったノールが読み間違えたものだという仮説が有力になってます。


初稿は1810年の作曲であり、ベートーヴェンが40歳を迎える年代です。この頃のベートーヴェンは結婚に焦っていた事もあり、現代で例えれば「婚活」をしていました。しかし、ベートーヴェンは若い頃から「結婚するなら美人でないとだめ」というポリシーをもっていました。彼が選んだ女性は、ベートーヴェンの後援者の一人であったヨハン・マルファッティ(医師 1775〜1859年)の姪であるテレーゼ・マルファッティ(1792〜1851年)でした。


しかも彼女はまだ18歳の少女でありました。美しいテレーゼ嬢にベートーヴェンはプロポーズを申し入れたのですが、40歳になる中年の男と、弱冠18歳の娘との結婚を彼女の両親が許すはずもなく、またテレーゼ自身もベートーヴェンが醜男であったことから、あっさり拒否してしまったのです。結果、ベートーヴェンは失恋してしまったのです。


「エリーゼのために」の自筆譜はテレーゼの手に渡っていたのですが、後に、自筆譜はミュンヘンに住在している他の女性の手に渡ったのです。だから、献呈は無かったような結果でした。それからしばらくして、「エリーゼのために」の存在をルードウィッヒ・ノールが知り、ベートーヴェンの死後の1867年に出版したのです。


なぜ、『エリーゼのために』が2曲存在したのか?その説をします。


1867年に出版するまでの間に、作曲者自身であるベートーヴェンは、1822年にこの作品に戻ってきました。初稿のものと比べたら、主旋律や伴奏に書き足したり、旋律をいじって変えたりしています。なぜ、彼が12年の歳月が流れてから、エリーゼのためにに手を加えたのか、理由は分かりません。


そういう訳で、『エリーゼのために』は2曲存在することになりました。

まずは巷で有名なバージョンのエリーゼのためにから。こちらは


1810年作曲 初稿『エリーゼの思い出のために イ短調 WoO59』※通称《エリーゼのために》になります。

1810年作曲《エリーゼのために イ短調 WoO59》 



そして、こちらは1822年にベートーヴェン自身が改訂した『エリーゼの思い出のために イ短調 WoO59』

こちらのエリーゼのためには殆ど、巷では知られていません。


1822年改訂『エリーゼの思い出のために イ短調 WoO59』


1822年改訂版《エリーゼのために イ短調 WoO59》 



1822年の改訂版を編集した人は、ベートーヴェン研究者であり、アバディーン大学の音楽講師であるバリー・クーパー氏です。