これ程の作品を創作したベートーヴェンの他の作品も欲しくなり、「ベートーヴェンの作品で多種多様な感激したい」と欲が出たこと。
ベートーヴェンの作品を集めている最中には、「自分はベートーヴェンの作品を集めるために努力している」とは感じなかった。
「あれも欲しい、これも欲しい」と、これまでに無かった欲に駆られ、ベートーヴェンの作品を集めて聴けるなら時間も小遣いも惜しまなかった。
寧ろ、残りの人生はベートーヴェンに賭けようとさえ決めたほど。
日本語版のCDを殆ど集めれば、次は作品タイトルが外国語表記。
「ついに、壁が出たか」と思った。それなら、ベートーヴェンの解説書を購入すればいい。後で作品番号さえメモしておけば、翻訳でどーにでもなる。
それに海外版なら、さらに未知の作品に出会える。外国語表記に悩むなら、先に作品を入手してから後でじっくり悩めばいいだろ。
ますますベートーヴェン作品への欲望が強くなっていった。
「英語表記を覚えなきゃ」、「ドイツ語表記を覚えなきゃ」など、自分にプレッシャーを与えるようなそんな考えは頭にはなかった。何よりも、先ずは作品を入手することと、知らない作品を聴いてみたいという気持ちがプレッシャーを押し潰していた。
英語表記やドイツ語表記の翻訳など、作品を手に入れてからでどうにかなる。
それに、毎日CDジャケットを手に取って眺めて作品聴いてれば、自然と頭に入るもの。義務的に勉強して英単語を覚えても、興味が薄ければ時の流れで忘れたりするけど、興味があれば図太くいつまでも覚えたりする。
私が1番苦手なのは、Allegro ma non troppoだとか言う用語。
作品探しに比べたら、なかなか頭に入らない。あまり覚えたいという欲求には駆られなかった。
何故か?
そんな「Allegro」「Andante」の表記は演奏者のためにあるだけで、鑑賞する人はあまり意識しなくて良いものだから。
作品タイトルの方が興味があるし、鑑賞する側であればそっちを頭に入れるほうが先決。
鑑賞目的でベートーヴェンを集めている私にとって、もう1つ必要なのは作品探しに必要な「op.番号」だとか「WoO.番号」みたいな『作品整理番号』
中には Biamonti番号、Kafka番号なども存在する。
それを覚えないと作品を探すにも探せないし、画像のような資料もちんぷんかんぷんで読めない場合もあるのだ。(中には作品番号未登録みたいな曲者も多々ある)
とにかく、ベートーヴェンの作品を片っ端から買い漁り、浸りたい欲望に駆られていた。
だから、これらのベートーヴェンの作品コレクションは、努力より欲望が生んだ結果にすぎない。
気付いたら22年もの歳月が流れていた。いつの間にかCDも300枚近くまで集まり、曲数も700を超えていた。
『ベートーヴェンの作品が欲しい』『とにかくベートーヴェンの作品なら何でも聴きたい!』と、私は欲望の奴隷にされていただけなのだ。