昨日、『香里園ミュージックアートピクニック2010』に参戦して来た。
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理由は、ゴンゴンズオクムラ氏曰く
「同まつりの委員会に呼ばれたんで、唄える場を与えていただくのは素晴らしい!!」
とメッセージしてたんで、「じゃあ行きますう~」と返事しておいた。
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で、メンバーと挨拶していたが、この日のツボは、
No.2ギターの細嶋氏が、何度も挨拶なしに目の前約三尺(90cm)を通り過ぎて行き、業を煮やしたんで、こちらから挨拶に行くと
「あ…淀川さん…こんにちは。
他のメンバーは?」
と訊かれて、促して後ろに控えてたオクムラ氏にようやく気が付いた。
普段は見た目通りにゴンゴンズの『クール担当』の氏の意外な一面を垣間見ることが出来、
やはり、細嶋氏なのだが、開演直前に前バンドの大音響の中、私を促して、次々とゴンゴンズグッズを出して見せてくださる様が、まんま映画『タクシードライバー』で主人公のトラビスに銃器などを売る密売人っぽかった部分がツボだったので思わず良い意味で仰け反った。
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ベースの作田氏は小学生~高校にかけてバンド(士農工商エッター避妊)や芝居(劇団阿弥陀時雨)を一緒にやってた専属作家の十河大丸(芸名平田満夫。まだ門真近辺にいるんやろか?)にトースケ(見た目とオーラの事)が激似という事に気が付き、
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打ち上げ時はリズム隊の要にして最年長のドラムスの米津氏とお互いの楽歴や好きな音楽に付いてディープ目な話をした。
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No.1ギターの藤川氏は、相変わらずのクレージーぶりをこの日も遺憾なく発揮していたが、御約束の『周辺がすべてステージ』を展開して、演奏しながらギターレシーバーの距離などをさりげなく調べていた。
帰宅後に藤川氏のソロプロジェクト『ブラック・サ・ベッツ』の音源を聴いた。
このプロジェクトで過去一度だけ、西九条にある『ソフトマシーン』でギグをしたらしい。
すべてがロックンロールの伝統を踏まえた曲であり、
ある時は直訳
ある時は懐かしのロックンロールも歌謡曲と呼ばれていた頃の郷愁を思い起こさせてくれて、楽しんで一人でコツコツと作ったのがうかがい知れる。
「久々ぐらいに、フルアルバムを作らなアカンなあ…」
と私に刺激を与えてくれたのは言うまでもない。
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やはり、藤川氏の地元のせいで世間体があったのか、いつものオープニングトークも極めて控えめではあった。
が、そこは『関西アンダーグラウンドミュージックシーンにおけるおっさんミクスチャーバンドの誉ゴンゴンズ』。
客の多い少ないの別なく、全身全霊の持ち時間を余す事なく勉めていた姿は美しい。
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私は子供の頃、盆踊りが好きだった。
親に与えられたレコードを聴いて大きくなり、夏の盆踊りが好きになってから、自分で好みに合った曲や映画を観たり聞いたりするようになった。
同級生と漫才コンビを組んでて翌年にそれがバンドになった。
一曲作る度にメンバーが殴り合いの喧嘩ばっかりする気の狂ったバンドだった。
あの時一番弱虫だったメンバーが今では一番喧嘩が強い。
カメラを片手にライヴハウスを回った。
ある師匠の通いの弟子になって正業に就いて、音の洗礼を受けた。
正業の師匠の説得にされて、正業一本にしぼり、仕事が変わり、評論で食えそうになった時に会社を辞めたが無理で路頭に迷った。
「もう見合い結婚して家庭を持つぞ」と決意した直後に
音楽や演芸を離れていた時期に
またまた芸術の神様が見逃してくれず盆踊りと音楽となんでか再会して現在に至る…。
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そんな想いを私の中で呼び覚ましてくれるなにかが、ゴンゴンズの5人組が奏でるロケンロールには含まれているんだろう。
それが私がゴンゴンズを聴き続ける理由だろう。
「淀川くん、なにいうてんねん!。一年間消息不明やったやんけ!(`o´)&(^。^;)」
「オクムラ先輩すんまへん(ノ△T)&(^。^;)」
たいへんおあとが宜しいようで…m(_ _)m。
(了)