仕事から帰って、風呂入って、テレビをつけてチャンネルをBSに合わせたら、西城秀樹の
コンサートをやっていた。
もう大興奮、最高
秀樹のデビューは確か、僕が小学校高学年の頃だったか?
僕は奥手だったのか、その年頃は、軍用機のプラモばかり作っていたような気がする。
可愛い女性歌手などには、あまり興味を持ってなくて、秀樹や郷ひろみにも、
感化されなかったように思う。
そんな僕だが、中学の修学旅行のバスの中では、マイクを離さないくらい何曲も歌ったり、アコギから始めエレキギターにも手を出していた。
大学の頃にはディスコ通いをした。’82~’84くらいの時代だ。
ブームが終わる(自分の興味の移り変わりか)と、フュージョンに走り、高中正義なんかもよく聞いた。
実をいうと僕は、結婚する前までの松田聖子の大ファンで、アルバム曲など、100曲は諳んじる事も
できるくらいだ。歌のバックの楽器のアンサンブルまでも頭の中で構築できる。
25才くらいからはジャズにも傾倒し、トランペット(僕は変人か、コルネットを)買った。
ただ恥ずかしいのは、どれも物になっていない事だ。
1985の西城秀樹はすごかった!
ここでほんとの話、僕の名前は〇〇秀樹なのだ!
小学校の頃は、よく「〇〇おでき」などと、からかわれたものだ。
元はと言うと、湯川博士にちなんで、伯母がその名前にしろと、うちの父にせっついたらしいが。
”おでき”でもなんでもいいよ。
そんなからかいなんて、どうとでもかわせる。
学校にタイツ穿いてって
「なんだよお前”うソックス”穿いてんじゃん」
なんてからかわれたら、脱ぐ訳にはいかないんだから。
タイツや長靴下に対するからかいの言葉については、また次回にでも書くとします。