名城と桃太郎伝説を巡る岡山倉敷紀行(4)~大原本邸~ | 凝り性 勝之進のこだわり日記

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★Livin' On A Prayer★Once upon a time Not so long ago・・・ 
 

倉敷は大原家とともに発展して

きましたので、大原家のことを

書きます。

◆大原家の家系で、家督を継いだ人は

次の通りです。

初代 大原忠則
二代目 大原忠之
三代目 大原金基
四代目 大原好道
五代目 大原荘平
六代目 大原孝四郎 1833~1910年
七代目 大原孫三郎 1880~1943年
八代目 大原総一郎 1909~1968年
九代目 大原謙一郎 1940年~
十代目 大原茜 1967年~

◆特に、六代目孝四郎、七代目孫三郎、

八代目総一郎は、繊維業を中心に

大きく事業を伸ばし、現在の

クラボウ(1888年~)、
クラレ(1926年~)などの会社を

創始・興隆させるとともに


社会貢献、病院建設、大原美術館設立、
倉敷の街の保全などにも尽力し、
まさに世のため、人のために

尽くす人生を送りました。

◆大原本邸は、その大原家の人々が
実際に生活していた家であり、

現在は、写真の通り、国の重要文化財に

指定されています。


そして、大原本邸に入ると、いきなり、
土間に「ふりそそぐ言葉」が現れます。

代々の大原家に語り継がれる家訓や
事業の神髄を凝縮したような言葉が
天井から吊られ、風に揺れています。

 

曰く、

「十人のうち七人も八人も賛成する

ようなら、もうやらない方がいい。」

「感情を出発点とした政策には

賛同できない。」

「どうだ、俺を乗り越えられるか」

「やるべし。大いにやるべし」

「それが本当に正しいのかどうか」

「きさまのような奴では大原家は継げぬ」

「強い子になれ」

「誤解されるよりも理解されないほうが

むしろいい」

「いはゆる安全の道は進歩も工夫も

ないものである」

「子孫というものは、祖先を訂正する

ためにある」

「最後まで根気強くやるはうが

ゴールにたどり着く」

降り注ぐ言葉の中に佇むと、

お前はどうだと、自分が試されている

ような気分になります。

短いながら重い言葉が胸に沁み込み、
自省心が湧いてきます。

 

下は大邸宅の中にある路地の写真です。

 

◆本邸の他には、大きな柱が聳える

大原美術館が有名ですが、
時間がなかったので、名画鑑賞は

またの機会としました。

一説には、この大原美術館があった
おかげで倉敷は空襲に遭わなかった
ともいわれており、


大原家は、ここでも、倉敷に

大きく貢献したといえます。
 

孫三郎が愛した庭も良く残っており、

座ってゆっくり眺めていると、

 

日本にも、社会に尽くした有能な

民間の起業家がいたことが体感され、

爽やかな気分になりました。

 

それにひきかえ、今に政治家ときたら、

と、思わず、ぼやきたくなりますね。


 

大原家の広大な敷地内には、孫三郎が

1928年に、病弱な奥さんのために

建てた有隣荘という別館がありますが、

 

その邸宅を仰ぎ見ると、大原家に息付く、

人として持つべき「愛」と「まっとうな心」

を感じることができます。

 

大原本邸は、そうした起業家精神や

正道を感じさせてくれる、

素晴らしい邸宅でありました。

 

倉敷に行かれた折りは、是非、

ご観覧ください。

 

(続く)


  有隣荘の橙緑色の瓦は超高価な谷川瓦。。。勝之進