◆まず、聖人サン・ロレンツォとは
誰なのかから始めましょう。
3世紀前半、ロレンツォ(ラテン語では
「ラウレンティウス」)は、当時まだ
キリスト教が認められていなかった
スペインで生まれました。
ロレンツォはキリスト教を深く信仰し、
ローマに行って教皇の執事として仕え、
貧困者の救済に当たりました。
しかし、ローマ皇帝の弾圧により、
ロレンツォは捕えられ、
西暦258年8月10日に、
無残にも処刑されてしまいます。
皇帝は、捕らえたロレンツォに
キリスト教会の財産を
渡すよう命じましたが、
彼は「貧困者や障害者こそが
教会の財産である」と、
毅然と言い返したとされています。
また、処刑の際には、
熱した鉄格子の上で
火あぶりにされてしまうのですが
兵士に向かって、
「こちら側は焼けたから、
もうひっくり返してもよい」と言った、
との言い伝えが残っており、
以来、その信仰の強さを称え、
殉教聖人として崇められてきました。
◆サボイア家が何故、数多くの
聖人の中からサン・ロレンツォを選んで
教会を作ったかというと、
処刑された8月10日と関係があります。
サヴォイア家のエマヌエレ・フィルベルトは
1557年にアンリ2世が治める
フランス王国と領地を争い、
「サン・クインティーノの戦い」
にて勝利を収めますが、
その戦勝日が8月10日だったため、
8月10日の聖人である
サン・ロレンツォを祀る教会を
作ることとしたのです。
この戦いにより、トリノは
フランスから完全に開放され、
サボイア公国のものになったわけです。
戦勝に沸くサボイア公国の民衆の
歓喜が目に浮かびますね。
この戦勝に因んで作られたのが
サンカルロ広場の中央にある
騎馬像であり、当然、
エマヌエレ・フィリベルトの像
というわけです。
騎馬像
◆それで、何が不思議かというと、
勝之進がサン・ロレンツォ教会を
観光した日が、まさにその
8月10日だったからです。
もともと8月7日出発だったツアーが
8月6日出発になったために
トリノ観光が8月10日にずれたのも
偶然ですし、
当日、ローマ巡礼に向かう若者が
王宮に集うため、もともと計画されていた
王宮観光ができずに、
急遽サン・ロレンツォ教会観光に
変更になったのも偶然としか
いいようがありません。
何か、不思議な神のお導きを感じた
勝之進でありました。
◆教会の中は、色とりどりの石や
彫像に埋め尽くされており、
その装飾の凄さに圧倒されます。
さすがはバロック建築の最高傑作
といわれるだけのことはありますね。
作ったのは、建築家
グアリーノ・グアリーニで、
完成は1666年です。
ちなみに、祭壇正面の絵の
サンロレンツォが
鉄格子を持っているのは、
先述した由来があるからです。
そして、この教会で、
3つの素晴らしいものが
見られました。
◆一つはクーポラです。
下から見上げると、
比較的珍しい正8角形デザインであり、
脇の窓は正5角形となっています。
ア―チのデザインも優美で
非常に素晴らしい造形でした。
採光のために開けられた天窓からは
優しく明るい光が差し込んでいます。
本当に芸術的なデザインです。
下の写真を見ると、下向きの穴が
開いていますよね。
実は1年のうち、ある特定の日(春分の日?)
にだけ、上の穴から日光が射し込んで、
穴の上の空間の内側に書かれた絵を
見ることができるのだそうです。
まるで「マチュピチュの蛇」みたいですね。
その日は、教会の中で説明している
おじさんが懐中電灯で照らしてくれたので、
一部をちらっと見ることができました。
十字架が見えます。
普段は見られないものなので、
一部だけでも見られてラッキーでした。
◆三つ目は、聖骸布のコピーです。
ここも普段は公開していないのですが、
当日は特別に公開していたため、
見ることができました。
こっちのほうが↓顔が良く見えます
今日は聖骸布の説明はしませんが
「キリストをくるんだ布」ということで、
転写された顔がうっすら浮かび、
足から流れた血がついている、
とされています。
年代分析によると、実際は、
13~14世紀の布のようですが、
言われてみると、確かに
聖骸布に見えてくるのが
なんとも不思議でした。
◆いろいろと不思議なご縁を
感じた勝之進は、
すっかりサンロレンツォ教会が
気に入ったのでした。
◆後日談。
実は、勝之進が愛聴している
パットメセニーの1978年の作品に、
邦題「想い出のサンロレンツォ」
というアルバムがあり、
1曲目にも同名の「SAN LORENZO」
という名曲が収録されています。
勝之進は、勝手に、パットがトリノの
サンロレンツォ教会に行った時のことを
思い出して書いた曲だと思い込んでいて、
自分も行ったぞと喜んでいたのですが、
考えてみれば、フェィレンツェにも
同名の教会があるし、いろいろ調べても
結局ウラは取れませんでした。
なので、自分が信じていることが
正しいことにしておきます。
それが信仰というものですから。
トリノも暑かった。。。勝之進
(続く)