本日、ブログジャンルは違いますが、
同じようにスピッツ大好きな方のアメトモさんのブログで書かれていた記事に感激、共感したので、
そのアメトモさんのブログネタを交えて記事にしたいと思います。






愛してる    
この命 
明日には 
尽きるかも
言わなくちゃ   言わなくちゃ 
できるだけ  まじめに

by  スピッツ  つぐみ
より歌詞の一部抜粋



そのスピッツブロ友さんは  

この歌詞にあるように、
自分の身にいつ何がおきるかわからないから
子ども達に
愛してるよ

こう言葉を交わしたそうです。

その後、臓器提供の意思表示があることなどを
交えながら、命のバトンリレーなどの
話しをしたそうです。

家族と向き合って
難しい話をしてくださっていることがとても嬉しく、
このように、
臓器提供意思表示について理解をして下さる方がいらしたことを皆様にもお伝えしたく、
本日のブログ記事にさせていただきました。
スピッツアメトモさん、ありがとうございます。

その方のブログでは、
絵付きでもっともっとわかりやすく書かれていて
是非リブログしたかったのですが、
リブログできない状態でしたので、
簡略に書かせていただきました。

私自身レシピエントの立場になってしまったことも
少なからずありますが、

臓器提供の意思表示については、
自身で移植ネットワークに意思表示の登録をして、
ドナーカードを常に携帯しています。


また、家族には、私に万一の事があったら、
自身の使える臓器は

必要としている方々に提供してほしい
と、話をしています。



臓器提供意思表示記入は健康保険証、運転免許証、マイナンバーカード、など身の回りの至るところに記入欄が設けられています。

家族と臓器提供意思表示についてはそう簡単にできるはずないと思います。

死後の話なんて誰にだって現実味がなく、
しにくいはずです。

ただ、この世の中には小さな子どもを含めて臓器移植しない限り、助からない、命が
何万人といらっしゃいます。

言い方を変えれば

移植で沢山の命が救える
のです。

この現実だけでも知っていただき、
少しでも臓器提供の意思表示に目が向く、世の中になってくれればと思っています。

決して早く死んで、あなたの臓器を下さいと言っているのではありません。
そう捉えられられても仕方ないかもしれませんが


人間生きている限り身に何がおきるかはわかりません。

もし、可愛いい我が子が移植を必要としなければならない状況になったらどう、考えますか?
また、その逆で提供する立場になってしまったら
そう簡単には臓器提供します!と言えないと思います。

このように、移植には尊い命が奪われてできます。
そのためだけに
家族間で、この臓器提供意思表すること、話し合うことは
非常に難しい事だと思います。


上記のスピッツの歌詞にあるように

明日にはこの身が尽きてしまうかもしれません。

怖い事で、考えたくもないことかもしれませんが
いつ死が訪れるかは
誰にもわからないのです。


だから思うのです。

生きている間に意思表示する事、
生きている間にしかできない事だから。
できる限り多くの方々に示し、考える機会が作られる世の中になってほしい。


移植医療ができるようになったこの世の中で

それを必要としている人が何万と沢山いる現状。



そして、救える命が沢山あるということを。

一人でも多くの方に知ってもらいたい、

移植は
特にドナーになる側の
深い深い哀しみがあってできるといった難しい医療ですが、


命の尊さについて、
深く考え、
理解される世の中になる事を切に願っています。


ちなみに私は心臓移植のレシピエント側であるため、
心臓のドナー側にはなれませんが、

もし、心臓移植手術までにこの身が持たなくなり、

脳死してしまったら、
自身の心臓以外の臓器を全て
問題なければですが、、、
是非提供、ドナーとなって

命のバトンを必要としている方に渡して、
身体は変わりますが、
提供した方のもとで、生き続けたいな
と思っています。

また、
日本の移植医療施設には地域の格差があります。


それではたとえ、ドナーが増えたとしても、移植手術はできません。
医療環境の
地域格差がなくなると同時に
移植医療施設の環境がより多く整備されること願ってます。