良い悪いではない、別の価値観へ。
人に何かを教える時、どうしても「良くしてあげよう!」なんて身構えてしまうんですよね。
教わる側も「分からなかった事教えてくれる!!凄く嬉しい!頑張
ろう!」なんてね。始めは楽しいでしょう、簡単な事から始めたら目に見えて上達するので。お互い頑張って行くんですよね。
ある時から「なんか苦しそうだな」って気付き始める。
教えてる内容はとりあえず間違いでは無さそう・・・じゃあこのアイディアは?こっちはどうかな(^ー^)ノ?「はいやってみます!頑張ってみます!」・・・でもどこか苦しそう。なぜだろう?
1つは上達して欲しいな!という期待がプレッシャーに変わってしまうから?教わる方も気付かぬうちに固まっちゃってるんですよね。
2つめは申し訳無さでしょうか。「上達して欲しいのに上手く教えられない自分」が放つオーラが相手にも伝わってしまう・・・。
気付いたら「何度やってもピッチ合わないね・・・センス無いんだな」「全然上達しない、喋ってばかりで練習してないからだ」「上手くなる気ないんだな」と勝手にこう思っているんだろう、こういう奴なんだろうと決め付けてしまう事になってしまいます。
教わる側も同じ。
純粋に上達して欲しいという気持ちなのに(はたから見てもプレッシャーをかけているようには見えなくても)、生徒の中でプレッシャーとして受け取ってしまうと「何回やっても上手くいかない、下手クソって思ってるんだろうな・・・」「教えて貰ってるのに上手くいかない自分がいる、なんてダメなんだろう・・・」と相手が少しも思ってない事をさも本当の事のように考えてしまう。
こうなるとこの思考がどんどん大きくなり「どうせ上手くならないんだから、話しかけないで欲しい」「辛いから教わりたくない」「今の言い方どうにかならないの?こんな短気な人が先輩だなんて・・・」とどんどん悪い方向へ・・・・。守りに入ってしまいます。
自分の中に思い当たるふしありますか?
あった方は気付けたでしょうか??
本当に相手はそう思っていたのでしょうか?
そして、私がレッスンを受けた中で一番衝撃的だったのは・・・
問題は相手が作っている訳ではない。という事。
じゃあ誰が問題を作っているのか??
・・・・受け入れ難いですね。
相手を良くしてあげようと思えば思うほど・・・
自分を守ろうとすればするほど・・・・
相手は何もしてないんですよね。
酷い事言われた??相手が酷い人だから??本当にそうなのでしょうか。
よく思い出してみれば、大体は勘違いして自分を守ろうとした自分が発した攻撃的な負の感情を受け取ってしまったから、相手も攻撃的になってしまったのではないでしょうか。
お兄ちゃんが妹に嫉妬するのは、お母さんが自分の事なんてどうでも良くなったんだ!と勝手に思ったり。遊ぶ約束を忘れてたのは嘘で他のやつと遊んでいた方が楽しいからだろ!とか。そうだ、年齢確認のボタン押してください、というのに怒る年配の方だってバカにされたように感じたんじゃないでしょうか。
お兄ちゃんも妹も大事だし、本当に忘れていただけの事もあるし、年確なんて怒らせるためにする訳ないんですよ。
長々と書きましたが、誰が正しいとか悪いとかじゃなくて・・・何が大事なのか、何をしたいのかに焦点を当てたいなと思いました。
なんとなくまとまったのでお終い。