鬼と天狗 | 徳富 均のブログ

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自分が書いた小説(三部作)や様々に感じた事などを書いてゆきたいと思います。

 武蔵大学教授の宮本袈裟雄氏は、「鬼と天狗」について次のように書いています。 

 鬼のイメージの中で最も古いタイプは、目に見えない「物の怪(もののけ)」や荒ぶる神と同一視されるものである。次に現れたイメージは、餓鬼道(がきどう)に堕ち飢えと渇きに苦しむ亡者や、地獄に堕ちた死者を責め続ける鬼であり、これは仏教の影響によるものと言える。また、「百鬼夜行(ひゃっきやぎょう)」と称されるごとく、人をさらったり、喰ったりする恐ろしい存在とみなされることも少なくない。

 現代人が描く鬼の姿は、頭に角を生やし、二本の牙が生えた大きな口を裂けるまで開き、虎模様の褌を着け、鉄棒を持った異形のものというイメージであろう。

 一方、こうした忌避される存在としての鬼とは対照的な鬼のイメージがある。その一つは、大江山の酒呑童子や桃太郎に征伐される鬼である。また、大峯(おおみね)の前鬼(ぜんき)・後鬼(ごき)に代表されるような、超自然的な霊力を持った修験者に使役される鬼である。こうした鬼のイメージは、里人が山に住む人々に対して抱いていたイメージから形成され、鬼を霊的な力を持つ存在と認めたものといえる。

 さらに、鬼をむしろ好ましい存在、人々を祝福し幸いを与える存在とするイメージもある。例えば、民俗芸能に見る鬼は、好ましい存在とみなされているものが少なくない。

 一方、天狗のイメージは、一般に、赤ら顔で長い鼻をもち、高下駄を履き羽団扇(はうちわ)をもった大天狗と、背に羽根を付け嘴(くちばし)をもった烏(からす)天狗・小(こ)天狗とに分けられる。

 ただし天狗には、姿・形が出てこない伝承もある。それは、山小屋に寝ていると突然木を伐り倒す音がする「天狗倒し」や、山中で突然ゲラゲラと高笑いが聞こえる「天狗笑い」、どこからともなく礫(つぶて)が飛んでくる「天狗の礫」などの伝承であり、共同幻聴・共同幻覚に基づくものといえる。

 また、天狗も人をさらい神隠しを行う存在であるが、天狗の場合は鬼と異なり、空中を自由自在に飛行(ひぎょう)する性格が強調されている。

 しかし、それ以上に鬼と異なる点は、天狗が清浄(しょうじょう)を好むこと、武士的・任侠的気質を持つこと、修験道の霊山が天狗の住処(すみか)とされていることなどである。さらに天狗は、さまざまな利益をもたらす神として信仰されており、なかでも火防・盗難除けの神として信仰されている。こうした点は、里人が修験者に対して抱くイメージや期待、修験者たちの理想の姿などが反映されているとみることができるだろう。

 このようにみてくると、鬼も天狗も、人の心の中で形成されたものということができるのではないでしょうか。