『びいる』 | 徳富 均のブログ

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自分が書いた小説(三部作)や様々に感じた事などを書いてゆきたいと思います。

 岩手県一関市の「一関博物館」発行の「博物館だより㊼」に次のような記事があります。

 ビールが日本に入ってきたのは、江戸時代のこと。長崎・出島のオランダ人が舶載したものを飲んでいた。日本で最初のビールの記録は、享保9年(1724)の『和蘭問答(おらんだもんどう)』で、初めて将軍に謁見したオランダ商館長一行を尋問した調書であった。そこには、「麦酒給(たま)い見申し候ところ、殊の外悪しき物にて、何の味わいもござ無く候。名をビイルと申し候」という、日本人通詞(つうじ)の体験談が示されており、日本人による最初の評価は酷評であった。

 しかし、この報告は幕府役人の一部しか見ることは出来ず、一般の人々はビールの存在すら知らなかった。ビールを最初に世間に広く紹介したのは蘭医学者・大槻玄沢の『蘭説弁惑(らんせつべんわく)』という本であった。「『びいる』とて麦にて造りたる酒あり。食後に用いるものにて、飲食の消化をたすくるもの」として「ビールグラス」の絵と共に紹介されている。

 玄沢は、後にフランスの百科事典をオランダ語版から翻訳する事業に携わり、この本は『厚生新編(こうせいしんぺん)』と名付けられ幕府に秘蔵された。この中で玄沢は、ビールについて、その歴史、製法、効用、色、味などを紹介し、「日本に舶載されたものを見ると、濃淡の二種類がある。色が淡いものは甘酸っぱくて渋い。濃いものは特に渋みが強い。試飲してみると、普通の酒や葡萄酒などのように甘美なものではない。それでも、ヨーロッパの人々は酒宴の際は必ずこれを飲んで酔い楽しむという。また、常飲すれば消化を助け元気を回復するという」

 何物でも、適量ということが大切で、飲み過ぎ、食べ過ぎなど、多量の摂取は身体を壊すもとです。