伊予松山 | 徳富 均のブログ

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自分が書いた小説(三部作)や様々に感じた事などを書いてゆきたいと思います。

 松山城下、石手川にかかる遍路橋を渡ると五十一番札所石手寺がある。この寺には、「遍路の元祖」といわれる右衛門三郎(えもんさぶろう)の伝説が残っている。

 右衛門三郎という貪欲な長者は、門前に托鉢(たくはつ)に来た旅の僧(弘法大師)を邪険に追い払った。そのため、子供が次々に死ぬという罰を受けた。悲しんだ右衛門三郎は深く改心し、遍路の旅に出た。その遍路の旅の二十一回目で、右衛門三郎は行き倒れになった。その時にようやく弘法大師に会うことが出来、罪を許されて死んだという。その後、伊予の豪族河野(こうの)一族に生まれた男子が、手に「右衛門三郎再来」と書かれた石を握っていたということで、この伝説が「石手寺」の名の起こりとなったということである。

 石手寺から1㎞ほどの所に、道後温泉がある。この温泉は、古代には「伊予温湯(いよのゆ)」「熟田津石湯(にきたつのいわゆ)」と呼ばれ、聖徳太子(しょうとくたいし)や中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)らも来湯したといわれている。

 中世には、河野氏が、道後温泉の南、湯築(ゆづき)城を居城にして伊予を支配し、温泉や石手寺を保護した。石手寺は温泉の管理に当たり、多くの僧や遍路が、この温泉で旅の疲れを癒したという。明治28年(1895)、松山出身の俳人であり歌人の正岡子規は、病に冒された身体で訪れた石手寺で、「南無大師 石手の寺よ 稲の花」という句を詠んだ。

 四国八十八ヵ所の霊場巡りは、「発心(ほっしん)の道場」とされる阿波(徳島県)から始まる。そして、「修行の道場」土佐(高知県)を経て、遍路は、現在の国道56号に沿う宿毛街道を進み、「菩提の道場」と呼ばれる伊予(愛媛県)へと入って行く。菩提とは、「あらゆる煩悩を断ち切って得られた悟(さと)りの境地」という意味を表すそうです。人間は生きている限り苦しみから逃れることは出来ません。しかし、過去を見続けても何も解決しません。「過去は過去、未来は未来」で、現在をどう生きるかで過去のマイナスも薄めることが出来ますし、不確かな将来に確固たる足跡を残すこともできるでしょう。遍路は、そんな自己を見つめ、新たな自己を発見する手段の一つなのではないでしょうか。