伊吹山 | 徳富 均のブログ

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自分が書いた小説(三部作)や様々に感じた事などを書いてゆきたいと思います。

 中山道を関ケ原から不破関(ふわのせき)を過ぎると、街道は今須(います)宿から一里(約4㎞)先の柏原宿に入り、ここからが近江国となる。そして、右手には、伊吹山が聳えている。

 伊吹山は、古代には山神が霊気や山気を「息吹く」山と称され、『日本書紀』が記す日本武尊(やまとたけるのみこと)は、この荒ぶる神を討ちに霊山に入ったため病を得て、命を落としたとされる。

 古代、近江には多くの豪族が住んだが、伊吹山の山麓に勢力を張ったのは息長氏(おきながうじ)とされ、この氏族からは何人かの子女が皇室に入った。伊吹山麓は、都から北陸や関東に至る要所で、この地を押さえれば東日本を押さえることができたため、ヤマトの大王は進んで息長氏と婚姻関係を結んだといわれる。

 中世になって、湖東に足掛かりを得て近江国を押さえ、守護となったのは「近江源氏」佐々木氏である。近江源氏は、宇多天皇の皇子敦実(あつみ)親王の子である源雅信を祖とし、佐々木庄(ささきのしょう・現在の八日市)に居をさだめて佐々木氏を名乗ったとされる。そして、「武者の世の始まり」といわれる保元の乱(1156)などで頭角を現し、源頼朝の挙兵に加わり平家を追討に功を立て、近江の守護となった。佐々木氏からは、京都の京極高辻に住んで室町幕府の四職(ししき)家の一つとなった京極氏も誕生した。

 滋賀県の最高峰である伊吹山は平安時代から「もぐさ」の原料となるヨモギの産地として有名だった。織田信長は、キリスト教宣教師を通じて入手した薬草を、この山に植えたとも伝えられている。

 古来、伊吹山は山岳仏教の聖地として多くの修験者たちが修業を重ねていた。その彼らにより伊吹山の薬草は利用されていたようですが、現代人には薬草や山野草といえば、何となく体に良いという印象でしょう。しかし、実際には毒を含む野草は少なからず存在するので、その判断が分からない人は勝手にとって来ない方がよいでしょう。